白団 白団結成に至る背景

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白団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/09 04:45 UTC 版)

白団結成に至る背景

第二次世界大戦および日中戦争後、中国では共産党軍国民党軍との対立が再燃した。内戦を避けるために様々な交渉が両者の間に行われたが、再び国共内戦がはじまる。

内戦忌避の感情及び国民党軍の腐敗に対する反感を巧みに利用して国民の支持を得た共産党軍は、ソ連からの軍事援助も受ける一方、蔣介石率いる国民党軍はアメリカからの支援もなくなったことで徐々に劣勢に追い込まれた。1948年9月から1949年1月にかけての「三大戦役」で、共産党軍は決定的に勝利し、北平南京上海などの主要都市を占領、1949年10月1日に共産党による中華人民共和国が成立した。

一方、人民解放軍に対してまともに対抗できないほど弱体化した中華民国政府と蔣介石は台湾への撤退を決定し、残存する中華民国軍の兵力や国家・個人の財産などを国家の存亡をかけて台湾に運び出し、1949年12月に中央政府機構も台湾に移転して台北市を臨時首都とした。

中華人民共和国政府は当初台湾への軍事的侵攻も検討していたが、国民党側の空海軍は健在だったこと及び1950年に勃発した朝鮮戦争に兵力を割かざるを得なくなったことから、人民解放軍による軍事行動は一時的に停止した。

1954年に米華相互防衛条約が調印されると再びアメリカから中華民国政府への支援が再開されるようになった。

アメリカは朝鮮半島の北緯38度線からベトナムの北緯17度線に至るラインで共産主義の拡大を食い止めており、台湾海峡はその前線だった。

1954年9月、中国人民解放軍は金門島の中華民国軍に対し砲撃を行い、翌1955年1月には、一江山島を攻撃、占領した。2月8日から2月11日にかけてアメリカ海軍護衛のもと大陳島撤退作戦が実施され、中華民国軍は浙江省大陳島の拠点を放棄した。

1958年8月には中国人民解放軍は台湾の金門守備隊に対し、砲撃を開始した(金門砲戦を参照)。台湾側は9月11日に中国との空中戦に勝利し、廈門駅を破壊するなどの反撃を行った。アメリカは台湾の支持を表明、アイゼンハワー大統領は「中国はまぎれもなく台湾侵略」を企図しているものと中華民国政府に軍事援助を開始。台湾は金門地区の防衛に成功する。10月6日には中国が「人道的配慮」から金門・馬祖島の封鎖を解除し、1週間の一方的休戦を宣言、アメリカとの全面戦争を避けた。金門砲戦以降も白団は1969年まで国民党軍の指導を行っている(白団メンバーではないが根本博は国民党軍中将として古寧頭戦役などで成果を上げていた。彼らは白団派遣の前後に帰国した)。




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