田場裕也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 15:17 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2014年2月) |
経歴
- 1993年:興南高校[1]3年時に全国春季大会3位(得点王)、インターハイベスト8
- 1994年-1997年:日本体育大学に在籍[1]。4年間でインカレ優勝2回、準優勝1回。1997年関東大学秋季リーグ得点王
- 1998年:湧永製薬入社。ハンドボールクラブチームの名門湧永製薬ハンドボール部に入部。同年日本リーグ新人王獲得[1]。
- 1999年:スペイン留学し、2部リーグのテルサ・アドリアネンスに所属、28試合出場[1]。
- 2000年:湧永製薬に契約選手として復帰。日本人初のプロハンドボールプレーヤーとなる
- 2002年-2005年:日本人として初めて欧州プロリーグ挑戦。ニームにあるフランス1部リーグのウサム・ニームに移籍し、シーズン得点ランキング3位になるなどチームのエースとして活躍
- 2006年:欧州の各クラブからのオファーを断り帰国。FC琉球ハンドボール部のゼネラルマネージャー兼選手に就任。
- 2007年:沖縄から日本初のプロハンドボールチームを立ち上げることを宣言、FC琉球からハンドボール部を独立し、ハンドボールチーム琉球コラソンを設立。GM兼選手に就任。
脚注・出典
外部リンク
|
|
[前の解説]
「田場裕也」の続きの解説一覧
- 1 田場裕也とは
- 2 田場裕也の概要
固有名詞の分類
- 田場裕也のページへのリンク