櫓 (城郭)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/02 17:16 UTC 版)
種類
形状
- 三重櫓・二重櫓・平櫓
- それぞれ3重・2重・1重の屋根を持つ櫓。階層はこれに準じない場合がある。
- 隅櫓(角櫓)
- 曲輪の隅に配置される櫓。その方位・位置により二十四方位にちなんだ名称が与えられることが多い。たとえば東南(辰巳)に配置された櫓は、「巽(辰巳)櫓」など。
- 多聞櫓(多門櫓)
- 多門とは長屋状の建物のことで、明治以降に多聞と書かれることが多くなったといわれる。1565年(永禄8年)成立の『築城記』に載る「ハシリ矢グラ」の形態が発展したものと阿部和彦は解説している[2]。名称の由来は、最初に松永久秀が多聞城にこの長屋形式の櫓を建てたことからと『和事始』に載り、また『甲子夜話』には楠正成(幼名多聞丸)が渡櫓内に多聞天を祀ったからであるという北条氏長談として載せている。宮崎市定は、久秀が中国の城郭建築の城門の上に立てる楼閣(門楼)から発想して創築したものではないかと推測している。
- 同形の櫓を多聞櫓と呼ばない場合もある。金沢城では「三十間長屋」「五十間長屋」というように多聞櫓を長屋と称し、熊本城では十四間櫓や北十八間櫓と長さで称している。櫓の間を繋ぐように建てられたものは「渡櫓」という。門の上のものは「櫓門」、櫓門から連続した多聞櫓は「続櫓」と呼ばれる。
- 平時には住居や物置も兼ね、江戸城のように武士の名簿(『江戸城多聞櫓文書』)を保存してあったという例もある。
- 重箱櫓
- 重箱造(総二階造り)の二重櫓の総称で、1階と2階の平面が同規模のもの。1重の屋根は腰屋根となる。岡山城(岡山県)や臼杵城(大分県)に現存例がある。
三重櫓
(高松城艮櫓)隅櫓
(大分城西ノ丸隅櫓)二重櫓
(松山城二重櫓)江戸城の巽二重櫓(1914年撮影)
多門櫓
(彦根城佐和口多門櫓)渡櫓
(姫路城西の丸)重箱櫓
(岡山城西の丸西手櫓)重箱櫓に名前の由来、四角の重箱
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