橘春成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/20 00:59 UTC 版)
経歴
仁明朝の承和13年(846年)従五位下に叙爵し、嘉祥元年(848年)能登守に任ぜられる。
仁寿4年(854年)斎院長官に任ぜられると、天安2年(858年)雅楽頭、天安3年(859年)大判事と文徳朝後半から清和朝前半にかけて京官を歴任した。貞観9年(867年) 正月に従五位上・武蔵守に叙任されて地方官に転じるが、早くも翌月には大膳大夫として京官に復している。
官歴
『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 承和13年(846年) 正月7日:従五位下
- 嘉祥元年(848年) 8月26日:能登守
- 仁寿4年(854年) 2月16日:斎院長官
- 天安2年(858年) 11月25日:雅楽頭
- 天安3年(859年) 正月13日:兼上総介。2月13日:大判事
- 貞観3年(861年) 正月13日:兼越中権守
- 貞観9年(867年) 正月7日:従五位上。正月12日:武蔵守。2月11日:大膳大夫
- 貞観12年(870年) 12月29日:次侍従
系譜
参考文献
- ^ 『秩父慈光寺栄朝大禅師系図』
- 1 橘春成とは
- 2 橘春成の概要
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