東武デハ5形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 07:59 UTC 版)
大改番後の各形式概要
前述の通り、本系列は大改番によって複数の形式に区分された。また大改番以降、本系列を含めた「32xx形」「54xx形」の形式称号を付与された電動車各形式については「3200系(32系)」「5400系(54系)」とも総称される。以下、各形式の概要を述べる。
モハ3200形
- モハ3200・3201
旧デハ4形中、事故や戦災に遭わず大改番を迎えた2両が本形式となった。いずれも本系列の最初期車に相当する車両で、両側妻面とも貫通構造となっているほか、正運転室側の運転台が左側に設置されていることなど、最初期車としての特徴を有する。
モハ3210形
- モハ3210 - 3247
旧デハ7形中、イングリッシュ・エレクトリックDK-91主電動機を搭載し、かつ事故や戦災に遭わず大改番を迎えた38両が本形式となった。本系列のみならず、32系に属する電動車各形式において最多両数を数える形式である。
モハ3250形
- モハ3250 - 3254
旧デハ6形中、戦災に遭った1両を除く全車が本形式となった。モハ3210形との相違点はデハ6形・デハ7形当時のそれに準じる。
モハニ3270形
- モハニ3270 - 3282
旧デハニ4形・デハユ2形で、戦災に遭った1両を除く全車が本形式に統合された。旧デハユ2形23は本形式統合に際して郵便室の荷物室化改造を施工した。また、モハニ3277は旧デハニ4形29で、事故復旧工事に際して乗務員扉が新設された異端車である。
モハニ3290形
- モハニ3290
旧デハユ1形1が本形式を称した。1形式1両のみ。
モハ5400形
- モハ5400・5401
旧デハ8形中、クハ3形を電動車化の上編入したデハ93・94が本形式に区分された。いずれも本系列の最初期車に相当する車両であり、車体各部の特徴はモハ3200形に準じる。
モハ5420形
- モハ5420 - 5423
旧デハ7形中、日立HS-266主電動機を搭載する4両が本形式に区分された。モハ3210形との相違点は主要機器のみであり、車体は同一である。
モハ5430形
- モハ5430
旧デハ4形36が本形式を称した。同じく前期普通車型を出自とするモハニ3270形とは主要機器が異なるほか、片運転台仕様で左右両側に乗務員扉を有する点が特徴である。
モハニ5470形
- モハニ5470 - 5474
旧デハ8形中、前記モハ5400形に区分された2両と戦災に遭遇したデハ90[注釈 5]を除く5両が本形式を称した。モハ5470は前期合造車型(旧クハニ1形)に属するのに対し、他の4両は後期合造車型(旧クハニ4形)に属するため、両者では側面窓配置が異なる。いずれも大改番に際しては客室化されていた荷物室を復活させ、合造車として本形式に統合された。なお、モハ5470は1951年(昭和26年)に荷物室を郵便輸送向けに改装し、モハユ5490形5490と改称・改番された。
モハ1400形
- モハ1402 - 1405
旧デハ105形全車が本形式に改称・改番された。なお、大改番に際しては大正14年系デハ101形も本形式へ統合され、モハ1400・1401の車番が付与されたことから、旧デハ105形はモハ1402以降の車番が付与された。
モニ1170形
- モニ1170
旧デニ1形1が本形式を称した。1形式1両のみ。
クハニ270形
- クハニ270 - 289
旧クハニ2形中、事故や改造により離脱した車両を除く20両が本形式となった。
クハユ290形
- クハユ290 - 299
旧クハニ1形・クハユ1形(前期合造車型)ならびにクハユ2形(後期合造車型)の3形式のうち、戦災に遭遇せず大改番を迎えた計10両が、荷物室を郵便輸送向けに改装した上で本形式に統合された。クハユ297 - 299が後期合造車型に属するほかは、全車とも前期合造車型に属する。
クハ420形
- クハ422
旧クハユ1形3(初代)で、戦災復旧に際してデハ8形90(2代)と改番されたのち[注釈 5]、大改番に際して本形式に区分された。なお、大正14年系デハ101形中、戦災復旧車が本形式に統合されてクハ420・421の車番が付与されたことから、それらの続番であるクハ422の車番が付与された。
クハユ490形
- クハユ490
旧デハ8形90(初代)で、戦災復旧に際してクハユ1形3(2代)と改番されたのち[注釈 5]、大改番に際して本形式に区分された。
注釈
- ^ a b 本系列の製造年代を考慮すると、落成当初はES500番台(東洋電機製造の独自開発モデルに付される型番)ではなくES150番台(イングリッシュ・エレクトリック社のライセンス製品に付される型番)の制御器が搭載されていたと推定されるが、落成当初の搭載機器が不明であるため、本項では晩年搭載した制御器の型番を記載する。
- ^ a b 1927年(昭和2年)から翌1928年(昭和3年)にかけて落成した汽車製造製の車両のみ、車体側面裾部の切り込みがないという特徴を有する。
- ^ 一部の車両については副運転室が設置されていない片運転台仕様で落成したとする資料も存在し、特にデハ35・36については副運転室付近にロングシートの撤去跡が存在したと指摘されている。
- ^ デハ21 - 36についても落成当初は正運転室側妻面も貫通構造であり、後述合造車化改造に際して同時に非貫通化改造が実施されたとする資料も存在する。
- ^ a b c d e 前期合造車型クハユ3ならびに後期合造車型デハ90は、いずれも汽車製造において焼損車体をそのまま修繕する形で復旧工事が施工されたが、出場時に両者の車番の振り替えが実施された。これはデハ90が荷物室を存置したまま復旧工事が実施されたのに対し、クハユ3は復旧工事に際して荷物室を撤去されたことによるものであるが、同改番は汽車側の手違い、すなわち荷物室を存置したデハ90と荷物室を撤去したクハユ3を取り違えたことによって生じた錯誤が原因であると指摘する資料も存在する(『鉄道ピクトリアル 第115(1961年2月)号』 pp.50・52)。なお、「デハ90」として竣功したクハユ3、「クハユ3」として竣功したデハ90とも、現車はいずれも動力を持たない制御車であり、後年の大改番まで車番の修正が実施されることなく運用された。
- ^ 事故被災等による復旧名義であると推測されるが、詳細は不明である。
- ^ 残る1両はクハ430形434であった。
- ^ モハ3210形を例に取ると、1961年(昭和36年)3月当時に東上線へ配属されていた19両(モハ3210 - 3228)については、全車とも副運転室・トイレならびに副運転室側パンタグラフ撤去が施工されており、モハ3210 - 3217については前面貫通構造化も施工済であった。一方で同時期の本線所属車両については、前述接客設備改善工事を施工された6両(モハ3230 - 3233・3235・3236)を除くと、モハ3239・3247の2両に対して副運転室・トイレの撤去が施工されていたのみであり、前面貫通構造化を施工した車両は存在しなかった。
- ^ モニ1170を名義上の種車として製造された3000系サハ3682(後サハ3212)は心皿荷重制限の都合上種車の装着したブリル27-MCB-2を流用せず、予備品の省形釣り合い梁式台車TR11を装着した。
出典
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル 第180(1966年2月)号』 p.65
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル 第115(1961年2月)号』 p.52
- ^ 『鉄道ピクトリアル 第799(2008年1月)号』 p.135
- ^ a b c d e f g h i 『鉄道ピクトリアル 第115(1961年2月)号』 p.48
- ^ a b c d e f g h 『鉄道ピクトリアル 第263(1972年3月)号』 p.75
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル 第799(2008年1月)号』 p.136
- ^ 『鉄道ピクトリアル 第537(1990年12月)号』 pp.219 - 223
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル 第799(2008年1月)号』 p.194
- ^ 『私鉄車両ガイドブック2 東武・東急・営団』 p.97・99
- ^ 『鉄道ピクトリアル 第799(2008年1月)号』 p.138
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル 第799(2008年1月)号』 p.137
- ^ 『鉄道ピクトリアル 第115(1961年2月)号』 pp.48 - 50
- ^ 『鉄道ピクトリアル 第263(1972年3月)号』 pp.75 - 79
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル 第118(1961年5月)号』 p.51
- ^ a b 『日本車輛製品案内 昭和三年 鋼製車輛』 p.61
固有名詞の分類
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