新科学対話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/21 01:49 UTC 版)
影響
ガリレオの大きな業績としては、天文学上の業績と、力学上の業績がある。この2つを比較して、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュは、本書に書かれたような力学上の業績の方をより評価している。これは、天文学での業績は良い望遠鏡と辛抱強さがあればガリレオでなくとも成し遂げられたと思われるが、力学の業績は卓越した独創力が必要だという理由による[87]。
アイザック・ニュートンは、本書を読まなかったが、ウォルター・チャールトン、ケネルム・ディグビー、ピエール・ガッサンディを通じて内容は把握していた[88]。そして、本書で展開された自然哲学の内容はニュートンにより発展することになった[89]。
また、本書での材料力学の記述は、材料力学における最初の出版物であったといわれている[90]。ガリレオは本書に書かれた内容のうち、一部については1607年に研究していた[91]。また、一部の内容については友人に証明を依頼し、参考にしている[92]。このようにして求められた強度に関する式は、一部に誤りを含んでいたが、その後長らく機械設計の中で用いられた[93]。たとえば片持ち梁の形状に関する内容は、フロンソワ・ブロンデルが1657年から取り上げ、この形状は建築でも有効だと主張した[94]。ロバート・フックはドームの形状として放物線やカテナリー曲線を検討し、クリストファー・レンはフックの検討結果を踏まえてロンドンのセント・ポール大聖堂のドームをカテナリーと決めた[94]。
ただしその当時、材料の強度について考えていたのはガリレオだけでなく、例えばベルナルディーノ・バルディは1621年にアリストテレス『機械学』の注釈書で構造の問題を分析しており、また、レオナルド・ダ・ヴィンチも片持ち梁の素描を手稿として残している[95]。
- ^ ガリレオ(1937) pp.9-10
- ^ a b 伊東(1985) p.65
- ^ ガリレオ(2007) p.13
- ^ 伊東(1985) p.66
- ^ a b ドレイク(1985) p.475
- ^ ガリレオ(1937) p.20
- ^ 田中(1995) p.187
- ^ 伊東(1985) p.59
- ^ ファントリ(2010) p.489
- ^ ファントリ(2010) p.517
- ^ a b 高橋(2016) p.292
- ^ 伊東(1985) pp.68-69
- ^ 伊東(1985) p.69
- ^ 田中(1995) p.213
- ^ 高橋(2016) p.272
- ^ 伊東(1985) p.145
- ^ a b 高橋(2016) p.270
- ^ 伊東(1985) p.61
- ^ 伊東(1985) p.64
- ^ 高橋(2016) p.276
- ^ a b c d 伊東(1985) p.66
- ^ a b c ドレイク(1985) p.473
- ^ a b ドレイク(1985) p.474
- ^ ガリレオ(1937) p.2
- ^ ドレイク(1985) pp.474-475
- ^ 伊東(1985) pp.66-67
- ^ a b 高橋(2016) p.277
- ^ a b 伊東(1985) p.67
- ^ a b ファントリ(2010) p.489
- ^ ガリレオ(1937) pp.46-47
- ^ 原(2013) p.50
- ^ a b c d 中根(1994) p.195
- ^ ガリレオ(1937) p.51
- ^ ガリレオ(1937) p.59
- ^ a b ガリレオ(1937) p.60
- ^ 原(2013) p.53
- ^ 高橋監修(2021) pp.156-157
- ^ ガリレオ(1937) pp.22-23
- ^ a b c ティモシェンコ(1974) p.11
- ^ ガリレオ(1937) pp.164-165
- ^ 小林(2004) pp.44-45
- ^ 小林(2004) pp.45-46
- ^ 小林(2004) pp.45-47
- ^ a b 小林(2004) p.47
- ^ ガリレオ(1937) p.182
- ^ ガリレオ(1937) p.183
- ^ a b ティモシェンコ(1974) p.13
- ^ 小林(2004) p.51
- ^ 小林(2004) p.53
- ^ 小林(2004) p.54
- ^ 小林(2004) pp.54-55
- ^ ティモシェンコ(1974) p.14
- ^ a b 伊東(1985) pp.215-216
- ^ ガリレオ(1937) pp.95-96
- ^ ガリレオ(1937) p.97
- ^ a b 伊東(1985) p.151
- ^ 伊東(1985) pp.151,220-221
- ^ Devreese,Berghe(2009) p.414
- ^ 山本(2007) pp.402-403
- ^ ガリレオ(1937) pp.125-126
- ^ 𠮷仲(1991) pp.39-40
- ^ ガリレオ(1948) pp.25-27
- ^ a b c 伊東(1985) p.154
- ^ 伊東(1985) pp.247-248
- ^ 高橋(2016) pp.308-313
- ^ 伊東(1985) p.249
- ^ 伊東(1985) p.250
- ^ ガリレオ(1948) pp.43-44
- ^ a b 伊東(1985) p.254
- ^ ガリレオ(1948) p.43
- ^ コイレ(1988) p.386
- ^ コイレ(1988) p.141
- ^ コイレ(1988) p.66
- ^ a b コイレ(1988) pp.140-141
- ^ クリース(2006) p.85
- ^ クリース(2006) pp.85-86
- ^ a b c コイレ(1988) p.473
- ^ クリース(2006) p.87
- ^ a b ガリレオ(1948) p.145
- ^ 伊東(1985) pp.158-159
- ^ ガリレオ(1948) pp.145-146
- ^ ガリレオ(1948) p.146
- ^ 伊東(1985) p.160
- ^ 高橋(2016) p.332
- ^ 伊東(1985) p.161
- ^ 高橋(2016) pp.350-351
- ^ ダンネマン(1978) pp.90,95
- ^ 𠮷仲(1991) p.51
- ^ ファントリ(2010) p.51
- ^ ティモシェンコ(1974) p.10
- ^ 小林(2004) p.56
- ^ 小林(2004) pp.56-57
- ^ 小林(2004) p.42
- ^ a b 金山(2015) p.10
- ^ 金山(2021) p.42
- 新科学対話のページへのリンク