征清殉難九烈士 鎮魂の碑

征清殉難九烈士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/07 13:51 UTC 版)

鎮魂の碑

九烈士の殉難は根津生涯の痛恨事であった。1895年(明治28年)根津は帰国するとすぐに軍籍を外れ、京都・若王子の寓居にて隠棲生活に入った。隠棲の目的は修行だけではなく、志半ばに世を去った若者たちや無二の親友たちへの弔いのためでもあった。若き志士ら9人が、根津の意向を汲んで清国内で情報活動中に捕らえられ、命を絶たれたことへの自責の念もあった。部屋に仏壇をつくって祀っただけでなく、彼らの遺児を書生として寓居で面倒をみるほどであった。そして荒尾精と相談し、寓居のすぐ下に彼ら九烈士の鎮魂の碑を建立した[11]

十二烈士

次の三烈士を加えて、十二烈士と呼ぶ。[12]

  • 浦敬一 - 長崎平戸出身、漢口楽善堂志士。明治22年3月漢口を出発して新疆に向かったが、消息不明となった。享年29
  • 広岡安太 - 熊本県出身、漢口楽善堂志士。明治22年4月重慶を出発して貴州に向かったが、消息不明となった。享年22
  • 高見武夫 - 岡山県出身、日清商品陳列所。明治27年杭州にて斬首。享年27

殉節三烈士碑

金州の北山(三崎山のこと・虎頭山とも呼ばれ現在、金州烈士陵園がある)には1913年に建立された「殉節三烈士碑」が、破壊された状態で最近まで残っていたが、2010年に北山の一部が削られた際に土砂とともに投棄された。市民の通報を受けた当局が金州博物館に運び、2016年現在も敷地内に保管している。

脚注

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