平石七太夫 平石七太夫の概要

平石七太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 03:05 UTC 版)

人物

大坂相撲に入門し古処ヶ嶽を名乗るといわれるも番付未確認。東京の雷部屋で虎ヶ嶽で1854年二段目が初見。投石、書釋迦山から出釋迦山と改名し1862年11月入幕。讃岐国丸亀藩の抱えで、丸亀の四国八十八箇所第73番札所の出釈迦寺に因んだと考えられる。合掌仕切りで人気を博し、「お釈迦によう似た出釈迦山」とも謳われた[1]。勝越しを続け、1866年11月小結、平石に改名し1868年関脇となるも2場所全休し1868年11月限り引退。1869年頃井筒を襲名[2]、その後雷(十万ノ海)が死去、音羽山(簗瀬嶽)が廃業し雷一門のまとめ役として音羽山を襲名したと思われる。弟子には幕内投石、十両出釈迦山らがいた。巡業番付、文献には一度も現れないままで1878年2月死去。

出典

関連項目


  1. ^ 関取名鑑(平石 七太夫)”. web.archive.org (2006年9月11日). 2020年7月20日閲覧。
  2. ^ 従来、引退数年後の1871年頃音羽山を襲名と考察されていたが、2010年頃発見された1873年の年寄連名に井筒万五郎の名があり、お抱え藩や次代音羽山との関係から平石の襲名と決定づけられた。


「平石七太夫」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  平石七太夫のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「平石七太夫」の関連用語

平石七太夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



平石七太夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの平石七太夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS