大葉亀之進 稲子地区の衰退

大葉亀之進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 16:13 UTC 版)

稲子地区の衰退

稲子地区には、炭焼きや林業、狩猟などを生活の糧とする人が多く[6]、1960年には最多となる127人の人口を記録する[3]。しかし、その後石油への燃料の変化などにより集落の仕事が失われ、稲子地区の衰退が始まった[9]。その頃にやっと稲子地区に電話と電気が繋がった。1980年代後半までは稲子峠の町道には除雪車が入らず、冬は稲子で急病人が出ても峠を越えることが出来ず、そのまま放っておかれることもあった[6]。最盛期には牛20頭ほどに荷物を載せた何人もの行商人が稲子地区を毎日訪れていたが[5]、1997年頃には週に1回の軽トラック1台の訪問販売になっていた。採算割れの訪問販売であったが、亀之進は行商人にお茶を出して出迎えたという[5]。亀之進は稲子地区の区長も務めた。1997年の稲子地区の住人は6人だけで平均年齢は77.8歳[6]、最長老は92歳の亀之進だった[2]

評価

亀之進が作った「こけし」は、流派的に遠刈田(蔵王町)系のこけしとされ[2]、左右均整の素朴でひなびた表情や胴体の優雅な紅菊の模様が特徴とされた[1][2]。製作年代によって変化に富むのも特徴であるが[1]、1960年代以前の初期の作品は制作本数が少ない。作風や制作時期によって、下記の5つのグループに分けられる。1970年前後より目の位置が頭部中心より上方に移動し作風が変わっている。こけしの底には「稲子」「大葉作」制作年の記載や、胴体下部に「大葉亀之進」「満〇〇才」などの記載が見られる。自宅裏に10平方メートルほどの工房を構えていた[2]。1997年には、「全日本こけしコンクール」で「伝統こけし無審査工人」の一人として作品が展示されるほどの名匠となり、全国でも最長老のこけし工人であった[6]。自分の作品を「稲子こけし」と呼んでいた[2]。1997年当時で、長さ40センチの製品で1体1万円で取引され、全国からの注文で年間100体近くを販売していた[2]。晩年の1997年(92歳)ときには腕が落ちたことを嘆いていたが[2]、それでも全国のこけしファンから年賀状が300枚届いた[10]

  1. こけし制作を開始した初期の作品(1919年頃。程なく制作中断)
  2. 戦前のこけし制作再開時の作品(1941年頃より制作再開。のちに制作中断)
  3. 戦後のこけし制作再開時の作品(1958年頃より制作再開)
  4. 1963年頃からの作品
  5. 1973年頃からの作品

日々の生活

大葉家には、方々から「こけし」を買う客が訪れ[9]、息子の妻が山菜や川魚などの手料理で接客したとされる[9]。大葉亀之進は子供に恵まれ、子ども9人に孫17人、ひ孫も13人おり、仙台や古川で生活する子供たちの家を訪れることもあったが、3日も滞在するとこけし作りの仕事が気になって稲子に帰ろうとした[6]。晩年は息子夫婦との3人生活だったが、正月には孫やひ孫が大葉宅に集まって賑やかなひと時を過ごすこともあった[6]。亀之進は子供たちが集まるのを12月から楽しみにしていたという[6]。風呂は薪で沸かし、水は川や井戸の水をポンプでくみ上げて生活した[6]。家の敷地内には沢の水が流れ、その水でイワナを飼育していた[11]。飼っていたイワナの中には、30年近く経った全長60-70センチの個体も居た[11]

91歳になった1996年頃には町のデイサービスを一時期利用したことがあったが[6]、「おれは元気だ。デイサービスはまだ早い」といってサービスの利用を断った[6]。曽祖父の大葉安之進のことは高く評価しており、酒も煙草もしない偉い人間であったと語っている[2]。亀之進も安之進を見習って35歳までは酒は飲まないようにしたが[2]、稲子地区の区長をするようになって付き合いでの飲酒を始めてしまい、安之進に申し訳ないと思っていた[2]

1999年(平成11年)7月9日に96歳で死去。亡くなる前日までこけし作りを続けた。


  1. ^ a b c d e f g h i j k 癒やしの微笑 東北こけしの話<高橋五郎>(55)/宮城・七ヶ宿町<下>/ 2013.10.20 河北新報記事情報 写有 (全897字)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 山守の家系(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:1) /宮城 1997.01.01 朝日新聞 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全2,469字)
  3. ^ a b c eye:春なのに、集落1人きり 毎日新聞 2017.06.03 東京夕刊 3頁 総合面 写図有 (全999字)
  4. ^ a b c 「超限界集落」ついに1世帯1人に 高齢者相次ぎ特養へ 2017年12月14日(木) 朝日新聞 8:00配信
  5. ^ a b c d e f g h (中山間地 七ヶ宿町から:4)豪雪地の集落 古里離れがたく越冬 /宮城県 2007.12.01 朝日新聞 東京地方版/宮城 25頁 宮城全県 写図有 (全1,103字)
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 生活のハンドル(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:3) 朝日新聞/宮城 1997.01.06 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全1,219字)
  7. ^ 分校の先生(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:6) /宮城 朝日新聞 1997.01.10 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全1,187字)
  8. ^ a b 稲子の夏 仙台藩山守の村 宮城・七ケ宿(1)/藩境争い 幕府の裁定を仰ぐ 1995.08.09 河北新報記事情報 写図有 (全1,381字)
  9. ^ a b c d e f g h (ルポ 現在地)七ヶ宿町稲子 3世帯4人の超・限界集落 /宮城県 2016.11.27 朝日新聞 東京地方版/宮城 27頁 宮城全県 写図有 (全2,099字)
  10. ^ ひ孫らの歓声と笑顔(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:4)/宮城 朝日新聞 1997.01.08 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全1,274字)
  11. ^ a b 稲子の夏 仙台藩山守の村 宮城・七ケ宿(5)/自然の宝庫 ナメコ栽培に新風 1995.08.15 河北新報記事情報 写有 (全1,194字)
  12. ^ a b 陸の孤島(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:2) /宮城 朝日新聞 1997.01.05 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全1,203字)
  13. ^ a b 地域の現場から 16参院選・みやぎ/「限界」超えた山里/3世帯 消えゆく集落/ 2016.06.30 河北新報記事情報 写図有 (全1,270字)
  14. ^ 声の交差点/斎藤健(76)=白石市・無職= 自然と人情と「稲子」に感動 2012.05.04 河北新報記事情報 (全378字)


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