内的自己救済者 内的自己救済者の概要

内的自己救済者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/19 05:57 UTC 版)

なお、DSM-IVにおいて多重人格障害(MPD)が解離性同一性障害(DID)と改称された後もアリソンはMPDの呼称を使い、かつDIDをそれと別に定義している。このため本稿では、DIDとMPDについてあえてアリソンの表記に従う。

Inner Self(内なる自己)

「Inner Self」という熟語は「Finding Your Inner Self」などと、よく使われる。そしてアリソンは、患者の交代人格のひとつを「人格の更に重要な部分、つまり魂より派生した内なる自己、真の自己、或いは自我と呼ばれるものであると確信した[注 2]」。そしてそれは「意識や無意識とは別のものであり、愛や知識、強さといった性格で特徴つけられる。神というのは人間のその部分のことかもしれない」[2]ともいっている。

1985年には「Spiritual Helpers I Have Met(私が出会った霊的救済者)」[3]というタイトルで論文を書いており、「Inner Self」=「Spiritual Helpers」=「Inner Self Helper(ISH)」、あるいは「Inner Self」+「Spiritual Helpers」=「Inner Self Helper(ISH)」というような関係になる。

Inner Self Helper(ISH)

「Inner Self Helper or ISH」と書き出したのは1978年の「多重人格の合理的な精神療法案[4]」からである。アリソンが聞いたMPD(現在のDID)の中のISHの自己紹介は次ぎのようなものである。

私はたくさんの働きをしています。私は良心です。必要があれば罰を与えるものともなります、教師であり、疑問への回答者です。私は彼女(この患者本人)の未来の姿ですが、完全に同じものではありません。彼女は感情の表現手段を持っていますが、それは私には必要ないものです。将来の彼女は私の論理的思考能力と物事を客観視する能力を持つ事になります。そうなっても私はずっとここにいて、独立したままです。ただ独立と言っても、あなたがた普通の人と同じように、ごく細い線で全体と区切られているだけです。緊急用の予備のように。もし私がいなくなれば、彼女には体しか残りません。私を一部だけを残して取り除く事も出来るでしょう。しかし私を全て取り除いてしまえば、彼女は抜け殻になります。私は今、交代人格たちの作り出した混乱と問題を整理しているところです。[5]

ISHは通常一人にひとつなのだが、アリソンは一人の人間にISHが六つ存在しているのに出会ったことがあるという[6][7]

理性的自己(Intellectual Self)

アリソンは「人間の心は二つの主要な部分から成り立っている」[8]と二元論でとらえている。西洋の哲学は歴史的に人間の構成要素として「肉体、心、そして魂」を論じてきたがここでは「心」と「魂」である。この2つを様々な言葉で言い表しているが、2005年の論文では「心」に対して「Personality」という言葉を、「魂」に対しては「Essence」という言葉を当てはめている。

そしてEssenceは、ユングのフィレモン[注 3]か、トランスパーソナル心理学のアサジョーリ[注 4]の「トランスパーソナルセルフ」と同じ実体であり、我々はみなひとつ持っているとする[9]。アリソンは1980年の著書の中でも「心の<意識>と<無意識>については、精神科医の数だけ"定義”がある。私はどちらかというとイタリアの精神科医ロベルト・アサジョーリ博士の説に賛成だ」と述べ、アサジョーリと同様に無意識を3階層に分け、その最上位を「愛や感謝、誠実の源でもあり、<ISH>により作られる全ての交代人格はこの場所から出てくる」と述べている[10]。アサジョーリの「トランスパーソナルセルフ」もその最上階の突端に位置し、神、宇宙に通じるものとされる。アリソンは2003年の「シャーマニズムおよび代替治療の研究に関する第20回年次国際会議」での発表で、自分の「Essence」は紀元前のローマ軍の将校で名をMichael.といい、その埋葬地を訪れたときのことを述べている[11]。これを読むと「Essence」とは日本の感覚ではうしろの百太郎のような守護霊と変わらない。なお守護霊という概念は日本原産ではなく「Guardian Spirit」の訳語である。

また「心」と「魂」を「Emotional Self」と「Intellectual Self」とも呼ぶ。そしてその2つは日本語の「感情」と「理性」に相当することをアリソンは自分のサイトで表明している。このため以下では「Emotional Self」を「感情的自己」、「Intellectual Self」を「理性的自己」と表す[12][注 5]。ただし日本語の「理性」は、人が成熟していく過程で獲得される後天的な印象が強いが、アリソンのいうそれは産まれたときから、あるいは産まれる前から存在するものである。

アリソンは幼少期に心の傷を受けた子供は「感情的自己」と「理性的自己」が分かれてしまうとする。その「理性的自己(Intellectual Self=Essence)」が「内的自己救済者:Inner Self Helper」である。それは、MPD患者[注 6]内部のSelf Helper 「自己救済者」ではなく「内なる自己(Inner Self)」「理性的自己」自身であり「真理・精霊につながるもの」である。アリソンの概念は1970年代から現在に至るまでに若干変わっているのだが、1978年の論文ではISH/Essenceと書き、1980年には次のように述べる。

「交代人格とISHははっきりと別の存在である。また、多重人格者だけでなく、誰にでもISHはある。」[13]
「ISHは多重人格者だけでなく、誰にでも産まれたときから存在している。ただ多重人格者の場合はISHが別の人格であるかのように見えるだけである。」[14]

そして、ISHは神の代理人であり精霊であるかもしれないとする[注 7]。ただし後にアリソンは「誰にでもISHはある」という部分を軌道修正する。(後述「MPDとDID」)

感情的自己(Emotional Self) と交代人格

一方の「感情的自己(Emotional Self=Personality)」は、「理性的自己(Intellectual Self=Essence)」が分かれてしまった時点では基本人格(original personality)なのだが、これがバラバラになって複数の人格(別人格)になってしまうとする[15]。バラバラになった人格の中には「否定的交代人格」や「迫害者人格」や「救済者人格」があり、例えば「否定的交代人格」が手首を切ったりすると「救済者人格」が救急車を呼んだりする。

ところがこの「救済者人格」はあくまで「感情的自己(Emotional Self)」から分かれたその一部なのであって、「理性的自己(Intellectual Self=Essence)」を体現する ISH(Inner Self Helper)とは別物である[注 8]。放火犯容疑者として精神鑑定を依頼されたマークの中に、アリソンは怒り狂う怪物[16]「否定的交代人格」と「救済者人格」を見つけたが、その後マークが起こした強姦殺人事件では、「ISHは人が非道な悪事を働くことを決して許さない」というアリソンの信条にもかかわらず、その「救済者人格」は「傍観者を通して」「殺人を止めようとはしなかった」[17]。そのことからアリソンは「救済者人格とISHは別物」と考え、更に後には「MPDとDIDは別物」そして「IIC」という概念を提唱するようになる。

MPDとDID

アリソンは「MPD と DID はともにもともと二つの全く異なる疾患群を示すべき用語である」とする[18]。アリソンがMPDとDIDを区別して論じ始めたのは、DSM-IVの改訂で、それまでの「多重人格障害」という疾患名が「解離性同一性障害」と変更されて以降のことである。アリソンはこの名称変更に反対した。しかしその後、MPDとは別にDIDと呼ぶ方が適切である患者もいると思いはじめる。

多重人格障害(MPD)

患者が7歳以前に解離してしまった場合をMPDと呼び、8歳以降に解離してしまった場合をDIDと呼ぶ[注 9]。アリソンのMPDの定義においては、最初の解離は心の二つの部分が離れることであり、それは理性的自己(Intellectual Self)と感情的自己(Emotional Self)の解離である。患者が強いトラウマに直面したときに、彼女(または彼)の理性的自己は、生命を維持する目的で感情的自己から離れる。患者の感情的自己(Emotional Self)は同時に基本人格(Original Personality)であるが、体と脳から離れて安全な場所に隠されて眠りにつく。そしてそこではEmotional Self からすべての「性格的要素」がはぎ取られてしまう。理性的自己(Intellectual Self)はISH と変じ様々な交代人格を創造し始める。これらの交代人格は患者の感情的自己=基本人格がこれから先成長する過程で獲得するであろう「性格的要素」から作られる。

ISH が最初に作成するのはFalse Front という交代人格である。安克昌と三條典男は「日常人格」と言う訳を当てたが、基本人格でない主人格と考えれば判りやすい。この人格は強いストレスをやり過ごして日常を暮らせるようにプログラムされている。しかしこの主人格(False Front)は怒りの感情を表現するようにはデザインされていないために、虐待や強いストレスが続いているとその怒りを処理するための新しい人格が作成される。これが怒りの交代人格(Persecutor Alter)である。この交代人格は反社会的な仕返しを行うので、ISH は救済者人格(Rescuer)を作成する。救済者人格は怒りの交代人格が引き起こす困った事態のつじつまを合わせたり、必要なところに通報したりして事態を解決しようと試みる。

解離性人格障害(DID)

アリソンの定義するDID は患者の発症年齢が約8歳以上の場合である。その場合、感情的自己(Emotional Self)から理性的自己(Intellectual Self)は解離しておらず、従ってISH は存在しない。理性は感情がコントロールするには複雑すぎる種々のトラウマティックな状況をやりくりするために最初の交代人格を形成する。この時のトラウマは生命の危機と言うほどのことが無くても起こりうる。

アリソンは1980年段階ではすべての人間にISHは存在するとし、それが発見出来ないのは治療者側の問題であるかのように述べたことがあるが、このDIDの理解はその自説を修正したということになる。

感情的自己(Emotional Self)から理性的自己(Intellectual Self)は解離していないのだが、人は常にその2つの面をもっている。そして感情的自己=基本人格が処理できないような問題に遭遇すると、理性的自己はそれを処理できるような交代人格を創造する。この交代人格は感情的自己に於ける思いつきや感情の動きが引き金になって活動を開始するので、患者が年齢を経て成熟するに従ってその交代人格の行動は患者の真の要求を満たさないようになってくるのである。

アリソンのMPD論への評価

DSM-IVにおいて、それまでMPDと言われてきたものがDIDに変更された後も、MPDという名前に親近感を示しその名称を使い続ける治療者は多い[注 10]。しかしアリソンほど強く反対しつづけている治療者は居ない。MPDとDIDは別物という説についてはなおさらである。

日本では、国立精神・神経センター病院での2000年から2006年3月までの集計を白川美也子が報告[19]した際、通常はDIDとされるものをアリソンの定義に従い、7歳以前に重度のトラウマを受け、非常に多くの人格群が現れたケースをMPDとして分けて集計しているのが唯一の例外である。解離が幼少期より起こっている場合とそれ以外では様相が異なり、常にではないが、前者では基本人格が長いこと眠っており、他の交代人格とほとんど差はなくなっている場合が多いこと。また治療も長期化するということは多くの治療者が述べている。ただし、白川報告でも分けたのは集計表の上だけであり、本文ではその2つを別に論じたりはしていない。


  1. ^ アリソンの著書『「私」が私でない人たち』の邦訳ではこちらを用いている。
  2. ^ 原文:Experience with five subsequent patients with multiple personalities, all of whom had an equivalent to Beth, and all of whom found that they could get well only by listening to their Beth, has convinced me that this is the manifestation of a higher part of the personality which is a derivative of the Soul, a part called the Inner Self, the Real Self. or simply the Self.
  3. ^ Philemon:ユングの“spirit guides”のひとりの名前。とりあえず「守護霊」と考えても良い。一般にはあまり知られていないが、ユングは若い頃より心霊的な世界に深い関心をもっており、後年にそれを表明しはじめた。例えばこの記事「PsychoHeresy: C. G. Jung's Legacy to the Church」などが参考になる。ユングはこう書いている。 Philemon and other figures of my fantasies brought home to me the crucial insight that there are things in the psyche which I do not produce, but which produce themselves and have their own life. Philemon represented a force which was not myself. In my fantasies I held conversations with him, and he said things which I had not consciously thought. For I observed clearly that it was he who spoke, not I. . . . Psychologically, Philemon represented superior insight. He was a mysterious figure to me. At times he seemed to me quite real, as if he were a living personality. I went walking up and down the garden with him, and to me he was what the Indians call a guru. (Jung, Memories, Dreams, Reflections, op. cit., p. 183.)
  4. ^ ロベルト・アサジョーリ(Roberto Assagioli 1888〜1974)は、現在トランスパーソナル心理学に分類されるサイコシンセシス(統合心理学)の提唱者。
  5. ^ (部分訳)・・・私のお気に入りは日本語である。それは知的自己を「Risei」と呼び、情緒的な自己を「Kanjou」と呼ぶ
    (原文)・・・But I learned from my foreign friends that root words for these two parts of the mind do exist in Middle Eastern and Oriental languages. My favorite is Japanese, which calls the Intellectual Self the "Risei" and the Emotional Self the "Kanjou." The Japanese recognize that we are constantly switching from being controlled by our Kanjou and being controlled by our emotions, to letting our Risei take over to solve our problems rationally.(Dissociation.Com-Definition of MPD
  6. ^ アリソンは後にMPDとDIDを区別するが、この段階では分けていない。
  7. ^ アリソンは1985年の論文「Spiritual Helpers I Have Met」では前世にまで触れている。:One claimed to have been an Indian squawin Montana who had been multiple in her lifetime. She had been cured by the Medicine Man, so she was sent to my to help her getwell from her multiplicity.
  8. ^ その説明はアリソン『「私」が私で無い人たち』1980年 7章「凶悪犯罪と多重人格」のpp.212-213.にある。
  9. ^ 年齢は論文によって一定せず1985年の論文"Spiritual Helpers I Have Met" では"formed(ages 7-9)"であるが、おおよそ小学校入学前とアバウトに考えておけばよい。
  10. ^ 例えばロバート・オクスナムの治療者ジェフリー・スミスは「公式な用語というより説明的な用語」として用いている。パトナムもDSM-IV以降もMPDと呼んでいるが、その理由(『解離』1997年 pp.120-121)はアリソンやジェフリー・スミスとは異なる。
  11. ^ 原文:Therefore, a "Rescuer" alter-personality must be created, often from an imaginary playmate.
  12. ^ アリソンは自分の診療室で患者に「バービー人形の製造工場は閉鎖だ」と云っただけで毎週のように新しい想像人格(IIC)が出てくるのが止まったことがあるという。そしてこうも云っている。
    「大人が見落としているのは、IIC は非常に簡単に形成しうると言う事と、作るのと同じだけそれらを意志の力によって消去することが容易であると言うことである。 IIC を消し去ってしまおうと決意することは、その子供にとって IIC をずっと側に置いておくことでもっと困ることが起こる、と気付くことである。 それに子供が気付いたときには、“消えてしまえ”と言うことが出来る。そう言うことが出来たとき、IIC はもう存在する事が出来なくなってしまう。」(アリソン 1998年論文)
  13. ^ ただしロスは「祖母の霊が(孫である患者の)体を離れる儀式はエクソシズムになるのだろうか」と自問し、それに「答えはノーである。それは強制的ではないからである。」と述べている。(『オシリス・コンプレックス』p.129)
  14. ^ 2006年より国際トラウマ解離研究学会:International Society for the Study of Trauma and Dissociation(ISSTD)と改称。
  1. ^ アリソン 1974年論文
  2. ^ アリソン『「私」が私で無い人たち』1980年 p.127
  3. ^ アリソン1985年論文
  4. ^ アリソン1978年論文
  5. ^ アリソン 1980年『「私」が私で無い人たち』p.66 にある同一内容の訳文
  6. ^ アリソン『「私」が私で無い人たち』1980年 p.128
  7. ^ アリソン1985年論文
  8. ^ アリソン 2005年論文
  9. ^ アリソン1978年論文
  10. ^ アリソン『「私」が私で無い人たち』pp.67-68
  11. ^ アリソン2003年論文
  12. ^ アリソン 1996年論文、サイトのトップページに掲載
  13. ^ アリソン『「私」が私で無い人たち』1980年 p.153
  14. ^ アリソン『「私」が私で無い人たち』1980年 p.156
  15. ^ アリソン『「私」が私で無い人たち』1980年 p.126
  16. ^ イアンハッキング1995年 p.61
  17. ^ アリソン『「私」が私で無い人たち』1980年 pp.212-213
  18. ^ アリソン2005年論文「サマリー」
  19. ^ 白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.307
  20. ^ アリソン『「私」が私で無い人たち』「日本語版あとがき」1997年 p.249
  21. ^ アリソン2005年論文
  22. ^ イアンハッキング1995年 p95
  23. ^ アリソン2005年論文「サマリー」
  24. ^ アリソン1998年論文
  25. ^ アリソン2005年論文
  26. ^ アリソン2005年論文
  27. ^ アリソン1998年論文
  28. ^ 服部雄一 『多重人格者の真実』1998年 pp.173-175
  29. ^ 服部雄一 『多重人格者の真実』1998年 pp.176-177
  30. ^ コリン.A.ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 pp.122-131
  31. ^ パトナム1989年 p.279
  32. ^ イアンハッキング1995年 p.60
  33. ^ パトナム1989年 p.279
  34. ^ パトナム1989年 p.280
  35. ^ パトナム1989年 p.281
  36. ^ パトナム1997年 p.114
  37. ^ 田中究、安克昌 1997年論文
  38. ^ 服部雄一 『多重人格者の真実』1998年 p.66
  39. ^ 柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.84-85 pp.142-143





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