京都先端科学大学附属中学校・高等学校
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概観
学園の概要
1925年(大正14年)に辻本光楠(1881~1948)が京都商業学校を設立。1951年(昭和26年)に辻本一郎(第2代理事長)が学校法人京都学園を設置した。また、かつては商業学校の他、工業学校、自動車学校も存在していたが、学制改革によって再編された。
京都商業高等学校時代の通称は、京商
京都学園中学高等学校時代の通称は、京学、KG、学園
建学の精神
建学の精神は、「世界の舞台に堂々と自分の意志で立ち、行動できる人を育てる」
京都先端科学大学附属中学校高等学校のホームページには、以下のような説明がある。
本校の建学の精神は、「世界の舞台に堂々と自分の意志で立ち、行動できる人を育てる」です。創立者の辻本光楠先生は、明治30年(1897年)に15歳で単身アメリカ・サンフランシスコへ渡られました。当時、先生は学校で、 欧米文化を取り入れた日本人が新大陸でアメリカ人と対等に渡り合っているとの話を聞かされていました。そこで自分の目で、日本人が新大陸で活躍をしている姿を見てみたいとお思いになり、ご両親の反対を押し切って渡米なさいました。 早速、昼間はサンフランシスコ郊外のブドウ畑で働き、夜は英語学校へ行き勉学に励まれました。ところが現地での日本人の姿は、先生が想像をしていたような勇姿ではありませんでした。ブドウ畑で働く日本人はアメリカ人の前で、言葉が通じず、ただただおどおどとしながら、過酷な労働に何も言えずに働かされていたのです。その様子を見て、先生は大いに失望されたのです。そこで、先生は、次の時代を担う日本の若者に、世界のどの舞台に立っても堂々と自分の意志で行動できる人になってもらいたい、という熱き思いで、大正14年(1925年)に本校を創立され、もうすぐ100周年を迎えます。
京都先端科学大学附属中学校高等学校HPより引用。[1]
校風および特色
高校では、長期留学を行う国際コースや、理科探究型学習や高大連携授業を行う特進ADVANCEDコースなど4コースを、中学では、GNコースのみを設置し、カリキュラムの異なる2クラスを編成している。
国際交流にも力を入れ、ヨーロッパ・北アメリカ・アジア・アフリカの英語圏の幅広い学校と姉妹校提携や教育機関提携を実施しており、中学・高校全コースが海外でのホームステイを実施する。
また文武両道を目指し、柔道部では、全国大会に出場するなどの成績を残している。
「21.3世紀のGlobal Navigatorの育成」をスローガンに掲げ、法人合併に伴い、内部進学制度の導入や、中高大一貫カリキュラムの設計・新たな教育プログラムの開発、英語によるサマーキャンプ等の検討、京都先端科学大学工学部との連携によるSTEAM教育の推進などを目指すとしている[2][3]。
中学校のイメージカラーは緑、高校のイメージカラーは紫。
注釈
出典
- ^ “教育理念”. 京都先端科学大学附属中学校高等学校. 2021年8月9日閲覧。
- ^ “学校法人京都光楠学園と学校法人永守学園との合併基本合意書締結について”. 京都先端科学大学附属中学校高等学校. 2021年8月9日閲覧。
- ^ “学校法人永守学園と学校法人京都光楠学園との合併基本合意書調印式について”. 学校法人永守学園. 2021年8月9日閲覧。
- ^ “スーパーグローバルハイスクール(SGH)に指定されました”. 京都先端科学大学附属高等学校. 2021年8月9日閲覧。
- ^ “新食堂棟「K.G Cafe Phi Φ」の竣工式を挙行しました”. 京都先端科学大学附属高等学校. 2021年8月9日閲覧。
- ^ “WWL(ワールド・ワイド・ラーニング)コンソーシアム構築支援事業の拠点校に採択! | 京都先端科学大学附属中学校”. www.js.kuas.ac.jp. 2021年8月9日閲覧。
- ^ “京都府 私立 京都先端科学大学附属高等学校(旧校名;京都学園高等学校)【管理機関】学校法人永守学園(旧:京都光楠学園)世界協働のプラットフォーマー 同時双方向×高大連携×N ヵ国×世界課題構想計画書”. ワールド・ワイド・ラーニングコンソーシアム構築支援事業. 2021年8月9日閲覧。
- ^ “WWL KUAS High – 京都先端科学大学附属高校 WWLコンソーシアム構築支援事業サイト”. 2021年11月3日閲覧。
- ^ 歴代甲子園出場校 - 京都府高校野球連盟
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