ヴァーペン・フォン・ハンブルク (1686年)
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関連項目
- ヴァーペン・フォン・ハンブルク(1669年)
- ヴァーペン・フォン・ハンブルク(1722年)
- ヴァーペン・フォン・ハンブルク(1740年)
- アトミラリテート・フォン・ハンブルク
- レオポルドゥス・プリムス
- ヴァッペン・フォン・ブレーメン
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・ツー・プフェアデ
文献
- Kurt Grobecker: Hamburgs stolze Fregatten gegen die Korsaren – Konvoischiff(f)ahrt im 17. Jahrhundert, Medien-Verlag Schubert, Hamburg, 2007, ISBN 978-3-937843-12-4
- Prof. Dr. Jörgen Bracker: Gottes Freund – aller Welt Feind / Von Seeraub und Konvoifahrt / Störtebeker und die Folgen, Zertani Druckerei und Verlag, Bremen, 2001, ISBN 3-9805772-5-2
- Wolfgang Quinger: "Wappen von Hamburg" I . Ein Konvoischiff des 17. Jahrhunderts. Delius Klasing Vlg GmbH (1980), Hamburg, ISBN 3-7688-0329-5
- Werner von Melle: Karpfanger, Berend Jacobsen (1623–1683) Hamburger Seekapitän und Admiral. Biographie, Allgemeine Deutsche Biographie Band 15, Erscheinungsjahr 1882.
- ゲオルク・ディートリヒ・フォン・デア・グレーベン: Erläuterungen zum Verstande der Schif(f)fahrt und des Seekrieges nach alphabetischer Ordnung, Erscheinungsjahr 1774, Breßlau. Reprint der Originalausgabe: Neufahrn/Percha 1984, ISBN 3-88706-235-3
- Carlo M. Cipolla: Segel und Kanonen – Die europäische Expansion zur See, Berlin: Verlag Klaus Wagenbach, 1999. ISBN 3-8031-3602-4
- W.zu Mondfeld, A. Bayerlein, M. Klingenbrunn: Schiffsgeschütze 1350–1870, Band 1, Herford 1988.
- Herman Langenbeck: Anmerckungen über das Hamburgische Schiff- und See-Recht, Erscheinungsjahr 1727, Hamburg.
- Klaus Weber: Deutsche Kaufleute im Atlantikhandel, 1680–1830, Unternehmen und Familien in Hamburg, Cádiz und Bordeaux, Verlag C.H. Beck oHG, München 2004, ISBN 3-406-51860-5
- Dr. Carl W. Reinhold, Georg Nikolaus Bärmann: Hamburgische Chronik von Entstehung der Stadt bis auf unsere Tage, Hamburg 1820
- Hessel, Peter: Hertzfliessende Betrachtungen / Von dem Elbe-Strom, Altona 1675.
- Walter Kresse: Von armen Seefahrern und den Schifferalten zu Hamburg, Hamburg 1981, ISBN 3-7672-0752-4
外部リンク
- ^ 残念ながらこの模型は損傷している。例えば艦尾に正しく据えられている舷灯は二つしかない。通常、実艦にも模型にも三つの横に並んだ舷灯が備わっている。
- ^ 一次史料や二次史料では、ハンブルクの護衛艦は二層の砲甲板を備える比較的大型の二層艦であった場合でもフリゲートと呼ばれることがある。しかしそれらは18世紀中盤以降に導入された、砲甲板を一つしか持たないより軽量の、非常に航洋能力に優れた新時代のフリゲートではない。17世紀と18世紀前半、「フリゲート」という呼称は多様な艦種に対して使用されており、非常に小型の一層艦から比較的大型の二層艦を含む多くの艦船がそう呼ばれる場合があったのである。
- ^ ハンブルクの1フィート(フース)は0.2856 mである。
- ^ 一部の史料・文献や現代の慣用において初代「ヴァーペン・フォン・ハンブルク(Wapen von Hamburg)」は「Wappen von Hamburg」(ヴァッペン・フォン・ハンブルク)と表記される。しかし、同時代のいくつかの史料では「Wapen von Hamburg(ヴァーペン・フォン・ハンブルク)」とも呼ばれている。従って歴史的に正しい表記は項目名の通り、「Wapen」(ヴァーペン)であり、これは後継の諸艦にも当てはまる。
- ^ 商業委員会が設立される直前の1662年6月、ポルトガルへ向かうハンブルクの武装商船8隻が、バルバリア海賊のガレー船わずか2隻に鹵獲された。この私掠行為は結局、ハンブルクの商業界に150万クーラントマルクの経済的損失をもたらしている。
- ^ 市議会はその書簡の中で、これらの艦艇を折に触れて「オルロークシッフ」、すなわち「軍艦」と呼称している。これに対し、ハンブルク提督府も商業界も対外的には、それらが商品の防衛に寄与するものであり、ハンブルクの戦争行為のために発注されたものではないと断言している。
- ^ 砲身を水で冷却するこの方法には、1794年頃から疑問が呈されていた。なぜなら冷却により、構造が破損する可能性があったからである。そのため初めてイギリス海軍が、砲身を冷却しない手法へ移行していった。
- ^ スウェーデンの大砲は品質に優れ、インフラも良好だったので、当時のハンブルク提督府は長い搬送経路を甘受する用意があった。スウェーデンの大砲は当初、品質に問題があったもののネーデルラントの技術が導入されてからは成功をおさめ、1639年以降のスウェーデンはヨーロッパでも一流の武器製造国にまで成長した。1668年には輸出を通じて1346門の大砲がスウェーデンの製造業者から出荷されている。Mondfeld/Bayerlein/Klingenbrunn, p. 170及びCipolla, p. 61と次頁を参照。
- ^ 当時のハンブルクにおいては、船長の職位は購入するのが一般的であった。応募者は船長職に就くため、多数の賛同者と並んで少なからぬ資金を用意しなくてはならなかった。護衛艦の艦長は150ターラーの月給を受け取っていたので、この就職活動における出費を取り戻すには一定の期間がかかる。艦長の選任は護送船団委員会が行う。護衛艦の艦長は、生涯にわたって固定の俸給と年金を受け取った。
- ^ ホルステ艦長は繰り返し警告されたにも拘わらず、何度も艦長への命令に違反し、最終的に託されていた初代「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」の指揮権を失っている。
- ^ Walter Kresse: Von armen Seefahrern und den Schifferalten zu Hamburg, Hamburg 1981, p. 36
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