フォード・コスワース・DFVエンジン DFVが生んだ名チューナー

フォード・コスワース・DFVエンジン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 09:11 UTC 版)

DFVが生んだ名チューナー

DFVが市販されたことで、よりポテンシャルを発揮できるよう、コスワースとは別個でエンジンのチューニングを行うようになった。これにより、ジョン・ジャッドハイニ・マーダードイツ語版ブライアン・ハートジョン・ニコルソン、元コスワースの技術者であるリチャード・"ディック"・ラングフォードによるラングフォード&ペック[9]などの名チューナーが生まれた。

特にジョン・ジャッドはエンジン・デベロップメント社(ジャッド)を、ブライアン・ハートはハート・エンジニアリング社を創業し、チューナーだけでなく独自開発のエンジンを送り出していった。

DFVが終焉した後もハートはDFRエンジンのチューニングを行った。F1でDFR最後のシーズンとなった1991年はラルースローラ・LC91に供給されるDFRをチューニングした。1993年にはジョーダン向けにV型10気筒エンジンを新規開発し供給、1994年から1999年にかけてアロウズミナルディなどにもV型8気筒やV型10気筒エンジンを製造し供給した。

脚注

関連項目


注釈

  1. ^ DFVエンジンとして
  2. ^ DFRエンジンとして

出典

  1. ^ 『レーシングカー : その設計の秘訣』P.135
  2. ^ 『レーシングカー : その設計の秘訣』 p. 135
  3. ^ Henry, Alan. The Turbo Era. Hazleton Publishing. pp. 234. ISBN 1-874557-97-7 
  4. ^ イアン・バムゼイ 著、三重宗久 訳『世界のレーシングエンジン』株式会社グランプリ出版、東京都新宿区、1990年、pp.75-ff頁。ISBN 4-906189-99-7 
  5. ^ PADDOCK NEWS レイトンハウス・マーチはスポーツカーだ F1GPX '87サンマリノGP号 6頁 1987年5月20日発行
  6. ^ a b c d イアン・バムゼイ 著、三重宗久 訳『世界のレーシングエンジン』株式会社グランプリ出版、東京都新宿区、1990年、pp.58-ff頁。ISBN 4-906189-99-7 
  7. ^ 今宮純 フォード+コスワース+ヤマハにとっての'88年DFR  グランプリ・エクスプレス '88開幕直前号 28頁 山海堂 1988年4月8日発行
  8. ^ ベネトンは5バルブを放棄か グランプリ・エクスプレス'88ブラジルGP号 28頁 1988年4月23日発行
  9. ^ How to be an ace engineer: Engine builder Richard Langford AUTOSPORT 2022年10月13日


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