フォード・コスワース・DFVエンジン
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DFVが生んだ名チューナー
DFVが市販されたことで、よりポテンシャルを発揮できるよう、コスワースとは別個でエンジンのチューニングを行うようになった。これにより、ジョン・ジャッド、ハイニ・マーダー、ブライアン・ハート、ジョン・ニコルソン、元コスワースの技術者であるリチャード・"ディック"・ラングフォードによるラングフォード&ペック[9]などの名チューナーが生まれた。
特にジョン・ジャッドはエンジン・デベロップメント社(ジャッド)を、ブライアン・ハートはハート・エンジニアリング社を創業し、チューナーだけでなく独自開発のエンジンを送り出していった。
DFVが終焉した後もハートはDFRエンジンのチューニングを行った。F1でDFR最後のシーズンとなった1991年はラルースのローラ・LC91に供給されるDFRをチューニングした。1993年にはジョーダン向けにV型10気筒エンジンを新規開発し供給、1994年から1999年にかけてアロウズ、ミナルディなどにもV型8気筒やV型10気筒エンジンを製造し供給した。
脚注
関連項目
注釈
出典
- ^ 『レーシングカー : その設計の秘訣』P.135
- ^ 『レーシングカー : その設計の秘訣』 p. 135
- ^ Henry, Alan. The Turbo Era. Hazleton Publishing. pp. 234. ISBN 1-874557-97-7
- ^ イアン・バムゼイ 著、三重宗久 訳『世界のレーシングエンジン』株式会社グランプリ出版、東京都新宿区、1990年、pp.75-ff頁。ISBN 4-906189-99-7。
- ^ PADDOCK NEWS レイトンハウス・マーチはスポーツカーだ F1GPX '87サンマリノGP号 6頁 1987年5月20日発行
- ^ a b c d イアン・バムゼイ 著、三重宗久 訳『世界のレーシングエンジン』株式会社グランプリ出版、東京都新宿区、1990年、pp.58-ff頁。ISBN 4-906189-99-7。
- ^ 今宮純 フォード+コスワース+ヤマハにとっての'88年DFR グランプリ・エクスプレス '88開幕直前号 28頁 山海堂 1988年4月8日発行
- ^ ベネトンは5バルブを放棄か グランプリ・エクスプレス'88ブラジルGP号 28頁 1988年4月23日発行
- ^ How to be an ace engineer: Engine builder Richard Langford AUTOSPORT 2022年10月13日
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