ヒエ 文化

ヒエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 14:37 UTC 版)

文化

江戸時代の農業百科事典『成形図説』のイラスト(1804)

日本では古くから重要な主食穀物であったため、米、アワと並んで祭事において重要な役割を果たしてきた。宮中の新嘗祭に際しても用いられ、このために宮中に献上するヒエを青森県などで栽培する制度がある。天皇が神に捧げ、自らもこれを食べる穀物にヒエが含まれることは、ヒエが決して単なる米の代用食ではない意義を持っていたことを雄弁に物語る。アイヌにおいては最も神聖な穀物とされた。アイヌ神話には、文化神・オキクルミが自身の脛を断ち割り、その傷の中に天上界のヒエを隠して盗み出し、地上の人間に伝えたとの一節がある。

また、飢饉の際の非常食として高く評価されており、二宮尊徳が農民達の反対を押し切ってヒエの栽培を奨励したおかげで、天保の大飢饉の際に多くの農民が救われたといわれている。これは後述のように、冷害に強く、安定した生産量を確保することが容易だった反面、社会的な評価が低く、売却が困難であったため、結果的に一番貯蔵に回しやすい作物であったからであるといわれている。

その一方、伝統的な主食穀物の中では最も卑しめられていた側面もあり、食味の悪い貧しい者の食べる穀物とされることも多かった。これは、米の調理法の影響を受けた炊飯調理が粘り気のないヒエの調理法としては必ずしも適していなかったこと、冷害に強く安定した生産量を確保することが容易だった反面、米などに比べて生産性は必ずしも高くなかったこと、穎果の構造から「稗搗節(ひえつきぶし)」のような労働歌を生んだほど、脱・精白に重労働を要したことなどが要因として挙げられる。このため、貧困の辛い記憶と強く結びついた穀物となった。

さらに、栽培ヒエの原種であるイヌビエなど、野生種ヒエ属数種は主要な田畑の雑草であり、稲作がこれらの雑草の制圧に大きな労力を要したことも、ヒエに対する心象を悪くしている。

また、生産者の自給作物の側面が強かったため、その生産量に比して、流通量は必ずしも多くなかったと考えられる。

そのため、歴史的、文化的、経済的に重要度が極めて高い穀物でありながら、文字記録がヒエについて沈黙することも多く、その実像が不当に低く評価されている面がある。

現代の食文化に置いても、雑穀を混ぜたが栄養価の観点で観直されているが、上述のとおり加工の難しさから、どうしても高価な食材となってしまうため、ヒエは大麦やアワほどには利用されていないのが現状である。


  1. ^ 那須浩郎「雑草からみた縄文時代晩期から弥生時代移行期におけるイネと雑穀の栽培形態」『国立歴史民俗博物館研究報告』第187集、99頁
  2. ^ 増田昭子 『雑穀の社会史』 62、82頁
  3. ^ 増田昭子 『雑穀の社会史』 46、79、80頁
  4. ^ 古沢典夫 他 『聞き書 岩手の食事』 13頁
  5. ^ 文部科学省、「日本食品標準成分表2015年版(七訂)
  6. ^ 古沢典夫 他 『聞き書 岩手の食事』 41頁
  7. ^ 古沢典夫 他 『聞き書 岩手の食事』 64頁
  8. ^ 古沢典夫 他 『聞き書 岩手の食事』 43頁


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