ディー・ブラウン (野球) 経歴

ディー・ブラウン (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 22:46 UTC 版)

経歴

1996年カンザスシティ・ロイヤルズから1巡目(全体14位)で指名を受け、1998年から2004年までロイヤルズでプレー。2005年2006年マイナーリーグでプレーする。

2006年12月30日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと春季キャンプの招待選手として契約し、3Aのツーソン・サイドワインダーズに所属する。2007年5月30日に金銭トレードオークランド・アスレチックスに移籍。

2008年ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム2009年ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約。12月28日に、埼玉西武ライオンズへの入団が決まった[1]

2010年シーズンは4月4日の北海道日本ハムファイターズ戦で日本プロ野球公式戦通算90,000号となる本塁打を放つなど、21本塁打76打点とまずまずの成績を残したが、打率は.241に終わった。交流戦では好調であったものの、パリーグの球団相手では東北楽天ゴールデンイーグルス戦における対戦打率こそ.339を記録したが、それ以外の球団とは相性が悪く、特に福岡ソフトバンクホークス戦では.184 0本塁打と全く打てなかった。2011年1月19日にホセ・フェルナンデスとともに契約が更新された。

2011年シーズンは東日本大震災の発生直後に一時帰国したものの、開幕までに再来日し4月12日の開幕戦にも先発起用された。しかしその後打撃不振を理由に4月30日に一軍登録を抹消された。6月14日に再昇格したが調子が上向くことはなく、打率.155、0本塁打と極度の不調に陥ったことから7月15日に再び一軍登録を抹消された。そして8月7日に翌8日付でウェイバー公示されることが球団から発表され、シーズン中途での退団が決定した[2]。その後、現役を引退。







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