テレビ朝日本社ビル
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スタジオ
大型スタジオである第1、第2スタジオは地下1階に、主に報道・情報系番組で使用されている第3、第4、第5スタジオ、および報道局と一体化された報道スタジオ(ニュースルーム・スタジオ)は4階に位置している。21、22、61、62、64、65スタジオは、主に中継番組の送出サブ(受けサブ)やBS・CSの番組で使用されており、スタジオ部分の床面積は狭い[2]。
テレビ朝日本社ビルの床面積は、他の在京キー局と比べ狭く、これにより一般的な汎用スタジオも少ないため、旧本社と同じ敷地に現存するアーク放送センターは近代化工事を経て、現在も事実上の「本社別館」として稼動を続けている。
六本木センター
テレビ朝日の前身にあたる日本教育テレビ(NETテレビ)は、開局当時に
などを社屋の建設候補地に挙げていたが、アクセスの利便性と拡張ポテンシャルを考え、麻布材木町(現在の六本木6-4-10)にある東映の敷地を社屋の建設地に決定した[5]。
初代社屋の設計者は久米建築事務所、施工は清水建設。1958年11月24日、日本教育テレビが本社社屋の竣工式を行った。当時の本館ビルは4階建て、中央のエレベーター塔より西側の部分にオフィス部分を設置し、東側に第1スタジオ(413㎡)、第2スタジオ(330㎡)、第3スタジオ(330㎡)、第4スタジオ(222㎡)と4つのスタジオを設置した。地下部分は社員食堂、空調設備、電力設備のスペースになっていた[6]。
NETテレビの社屋は、その後も事業拡大とともに増築を重ねてきた。
1965年には第1別館(延べ面積2,092㎡)が完成され、分散していた報道機能が集約された[7]。1970年には事務所用の第3別館(地上4階・地下1階建て、延べ面積5,365㎡)と第7スタジオ[6]が、1973年には地上6階・地下2階の第4別館(延べ面積4,177㎡)がそれぞれ完成した[8]。
1979年には、テレビ朝日が取得したニッカウヰスキーの元所有地にあるレンガ館・つた館の使用を始め、テレビ朝日が独占放送する1980年モスクワオリンピックを控えていたスポーツ局が入居した[9]。また、1980年には六本木通りに面した社有地に地上6階・地下2階の六本木別館(延べ面積2,468㎡)を完成した[10]。1970年代末期、六本木センターは本館、第1 - 第5別館、本館事務所棟、新事務所棟、5スタ棟、レンガ館、大道具棟、リハーサル棟、中継機材庫など、合わせて13棟にもおよぶ建築群への発展を遂げた。
1985年にはテレビ朝日アーク放送センターが完成してテレビ朝日の本社機能一部が移転し、六本木にある本社敷地が「六本木センター」と呼ばれるようになった。
四谷放送センター
新宿区四谷に立地し、スタジオ2つを有して1997年から新社屋完成までの期間、六本木センターの代替スタジオとして運用されていた[11]。この当時はアーク放送センターにあった主調整室とも接続されており、このスタジオから受けサブなしで生放送が可能であった。テレビ朝日が現本社ビルへ移転した後には、テイクシステムズ管理下の貸スタジオとして2005年まで運用されており、その後はCSデジタル放送制作会社へ譲渡され、現在は東急グループのポスプロ会社・イメージスタジオ109が保有している[12]。
スタジオ
収録番組を中心に、『トゥナイト2』など一部生放送の番組でも使用されていた。
- 11スタジオ(HD/SD、155坪)
- 12スタジオ(SD、100坪)
- ^ テレビ朝日
- ^ a b 中村智幸、鈴木純也「テレビ朝日新本社音響諸室の設計と施工」『NOE 技術ニュース』第20号、日本音響エンジニアリング、2003年12月。
- ^ 建築家とデザイン
- ^ 新本社アトリウム
- ^ テレビ朝日 1984, p. 24.
- ^ a b テレビ朝日 1984, p. 33.
- ^ テレビ朝日 1984, p. 110.
- ^ テレビ朝日 1984, p. 190.
- ^ テレビ朝日 1984, p. 276.
- ^ テレビ朝日 1984, p. 277.
- ^ テレビ朝日 2010, p. 248, 本編.
- ^ “四谷スタジオ”. IMAGE STUDIO 109. 2024年4月26日閲覧。
- ^ テレビ朝日 2010, pp. 252–253, 本編.
- ^ テレビ朝日 2010, p. 102, 資料編.
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