タルチュフ タルチュフの概要

タルチュフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/10 02:07 UTC 版)

19世紀の衣装デザイン画(人物はタルチュフ)

登場人物

  • ペルネル夫人…オルゴンの母
  • オルゴン…エルミールの夫
  • エルミール…オルゴンの妻
  • ダミス…オルゴンの息子
  • マリアーヌ…オルゴンの娘。ヴァレールの恋人。
  • ヴァレール…マリアーヌの恋人
  • クレアント…オルゴンの義兄
  • タルチュフ…偽善者。敬虔なキリスト教信者のふりをしている。
  • ドリーヌ…マリアーヌの小間使い
  • ロワイヤル氏…執行官
  • フリボット…ペルネル夫人の女中
  • 警吏

あらすじ

舞台はパリ。オルゴンの家から。

第1幕

オルゴンの母、ペルネル夫人が息子・オルゴンの再婚相手であるエルミールを始め、一家の若者たちを不信心だとして怒鳴りつけているところから幕開け。ペルネル夫人は信心に凝り固まって、タルチュフを聖人君子と崇めているが、若者たちはタルチュフが偽善者に過ぎないことを見抜いており、彼がオルゴン家で大きな態度を取っているのが我慢ならない。オルゴンもかつてはフロンドの乱に際して国王のために戦った勇気と思慮の持ち主であったが、現在はペルネル夫人同様にタルチュフを家族よりも大事に扱う始末であった。そこへオルゴンが商売から帰ってきた。エルミールが体調を崩していたというのに、タルチュフのことばかり気にかけるオルゴン。クレアントが目を覚まさせようと思いのたけをぶつけるも、結局徒労に終わってしまう。話の最後に、マリアーヌとヴァレールの結婚について聞くが、すでに許可を与えているにもかかわらず、のらりくらりと話をはぐらかそうとするオルゴンであった。オルゴンがこの件に関しても変心したのではないかと、心配するクレアントであった。

第2幕

クレアントの心配は当たっていた。オルゴンは、すでに許可を与えていたマリアーヌとその恋人ヴァレールの結婚を翻し、タルチュフと結婚せよと言い出した。絶望して固まるマリアーヌに代わって、オルゴンに「気でもふれたか」と毒舌を浴びせかけ、タルチュフとの結婚を取りやめさせようとするドリーヌだが、効き目がない。マリアーヌはヴァレールを愛しているため、結婚には当然反対だが、同時に娘としての務め(=親の言いつけに従うこと)も忘れられず、恋心と娘としての立場の板挟みになって苦しんでいる。マリアーヌはドリーヌに助けを求めるが、ドリーヌはオルゴンに何も言い返せなかったマリアーヌを情けなく思い、見放そうとするが、マリアーヌが自殺を仄めかしたため、慌てて協力することを約束するのであった。そこへ結婚の話を聞きつけたヴァレールが飛び込んできた。2人が愛し合っているのは変わらないが、煮え切らない態度のマリアーヌに、ヴァレールは苛立ちを隠せず、喧嘩となってしまった。危うく関係が終わるところだったが、すべてを見ていたドリーヌの巧みな執成しによって、何とか大事に至らずに済んだ。仲直りしたヴァレールとマリアーヌは、ドリーヌに従って、オルゴンに押し付けられた結婚を破談に追い込むことで一致したのだった。

第3幕

マリアーヌの兄であるダミスも、妹に押し付けられた結婚に我慢がならない。ドリーヌはタルチュフの俗物性を暴くために、義理の母ながらも優しい愛情を持っているエルミールに頼み込んで、話を通してもらうことにした。ダミスもその場にいたいというが、その激しい気性のためにドリーヌに追い払われてしまう(これ以後舞台奥に隠れてすべてを聞いている)。いざエルミールと2人きりになったタルチュフは、その俗物性を存分に曝け出し、エルミールを口説き始めた。エルミールはそれを拒絶し、オルゴンにこのことを言わない代わりに、マリアーヌとヴァレールの結婚を手助けする(=邪魔をしない)ように要求し、丸く収めようとした。ところが、それをこっそり聞いていたダミスはやはり我慢ならなかった。彼はエルミールが止めるにもかかわらず、オルゴンに事の次第をすべてぶちまけた。ところが、信心に凝り固まっているオルゴンに効果はなかった。タルチュフが偽善を用いて開き直り、へりくだった態度に出たので、オルゴンは高潔な男だと感激してしまい、ダミスこそ裏切者だと決め付けて勘当し、家から追い出してしまった。それどころか、タルチュフに全財産を譲り、マリアーヌとの結婚をさっさと決めようとまで言い出した。オルゴンにとって、タルチュフは家族のだれよりも、大切な友人なのであった。

第4幕

エルミールを口説くタルチュフ。机の下にオルゴン(第4幕第4~5景)

クレアントは、タルチュフに「キリスト教徒なら、子が親に追放されるのを黙ってみていいのか?仲直りさせるべきだ」と詰め寄るが、タルチュフは「私としてはそうしたいが、神がそれを許さない」などと相変わらず偽善的な態度を示し、理由をつけて逃げて行く。そうしている間にも、結婚の話は着々と進み、ついにオルゴンが結婚契約書を持ってやってきた。一同から再び非難を浴びせられるが、考えを変えようとしない狂信的なオルゴン。それなら、とエルミールはタルチュフの不義を目の前で見せつけることにした。渋々ながらも、言われるがままにテーブルの下に隠れ、その企みの顛末を見届けようとするオルゴンであった。再びエルミールと2人きりになった(と勘違いした)タルチュフはまたも彼女に言い寄り、オルゴンのことを馬鹿にするなど、本性を現す。さすがのオルゴンもようやく目を覚まし、タルチュフを追い出した。ところが、タルチュフは去り際に「この家は俺のものだ。出ていくのはお前だ」などと捨て台詞を残していった。これまでに財産贈与や秘密を打ち明ける(=ある男を匿ったこと、ならびにその男の大事なもの一切が詰まった小箱を預けたこと)などをしており、弱みを握られていることに焦るオルゴン。

第5幕

どうにか手を打とうと焦るオルゴンであったが、よい方策を見いだせない。そこへロワイヤル氏がやってきた。「この家はタルチュフのものとなっているから、今すぐ出ていけ」と言う。差し迫った事態に何とか対策を捻り出そうとする一同であったが、そこへ今度はヴァレールがやってきた。タルチュフが国王に訴え出て、国民の権利を蔑ろにして、犯人の秘密を隠匿したとして、逮捕の命令が発せられたので、警吏たちとともにこちらへ向かっているとのことであった。逃げ出そうとするオルゴンであったが、間に合わなかった。タルチュフに引き留められてしまったのである。罵詈雑言を浴びせられても平気な顔をしているタルチュフ。だが警吏たちが逮捕したのは、オルゴンではなくタルチュフだった。国王陛下はタルチュフの卑劣さを見抜き、手配中の詐欺師であることが発覚したからである。国王はかつて、フロンドの乱においてオルゴンが示した忠誠心を記憶していたのだった。こうして何もかも丸く収まり、安心する一同。ヴァレールとマリアーヌの結婚を許し、国王にお礼を述べに行こうとするオルゴンであった。幕切れ。

成立過程と上演禁止騒動

1664年5月7日から13日にかけて、ルイ14世は、母后アンヌ・ドートリッシュならびに王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュのためと称して、実は愛妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールのために、ヴェルサイユ宮殿にて600人を超える貴族たちを集めて「魔法の島の楽しみ」なる祝祭を催した[2]

モリエールとその劇団もこの祝祭に呼ばれ、2日目に『エリード姫』を、5日目に『はた迷惑な人たち』を、6日目に本作を上演し、最終日に『強制結婚』を上演した。上演された演目は『はた迷惑な人たち』にせよ『強制結婚』にせよ、旧作のコメディ・バレであって、宮廷で演じる作品としては無難な選択であった。本作について、この催しの公式記録は以下のように記している[3]:

この夜、陛下はモリエール氏が偽善者どもを俎上にして書いた喜劇『タルチュフ』を上演するよう計らわれた。劇は大変面白かったが、真の信仰によって天国への道を歩む人々と、下らぬ見栄から善行を誇示するくせに悪しき行為をも行う輩との間には、たくさんの類似点があることをご承知でおられた国王陛下は、宗教問題についての細やかなご配慮から、このように悪徳と美徳が似通って見せられるのを是とはされなかった。この両者は、互いに取り違えられかねないし、作者の善意を疑うものではないにせよ、陛下はこの劇の公開を禁じられた。そして、ほかの判断力の乏しい人々がこの劇を悪用せぬよう、ご自身もこの劇をご覧になるのをお控えになったのである。

この作品の上演を妨害しようとする動きは、上演前から行われていた。とくに『女房学校』以来、モリエールの作品に反宗教的要素を見出して、彼の監視を続けていた聖体秘蹟協会の面々は、水面下で激しい妨害工作に勤しんでいたが、結局本作は「魔法の島の楽しみ」においては問題なく上演された。ただ、上の記述に見えるように、即日国王によって上演が禁じられた[4][5]

国王夫妻は上演を興味深そうにご覧になったとのことだが、年老いて信心深くなっていた、ルイ14世の母親アンヌ・ドートリッシュなどはその諷刺に眉をひそめたという。モリエールの親友であったボワローによれば、

モリエールは『タルチュフ』を書くと、その最初の三幕を国王陛下に朗読して見せた、この芝居をお気に召された陛下がたいそうお褒めになったために、却ってモリエールの敵方、とりわけ信心家の集団の妬みを誘ってしまった。パリの大司教ペレフィックスは信者たちを代表して、陛下に謁見を求め、タルチュフの上映禁止を懇請した。この請願が何度も繰り返されるので、陛下はモリエールを呼び出し、「彼らを刺激してはならない」と仰った。…

とのことである[6][7]

ペレフィックスは国王と関係の深い司教であったので、ルイ14世もその請願を無視しきれなかった。しかし、上演が禁止されたのはあくまで公の席のみでのことであって、私的な上演については何の罰則もなかったため、作品の観賞は続けられた。そのうち彼を攻撃していたジェズイットジャンセニストの中からも好奇心から芝居を鑑賞したがる者が続出した。完全な形で、つまり全5幕の形で初演が行われたのはこの頃のことであった(1664年11月29日)。コンデ大公の館で上演されたという。先述したように、私的な上演には罰則がなかったからである[8][5]

モリエールの『タルチュフ』序文では、この上映禁止騒動を次のように説明している[9]:

…この喜劇が禁止されて1週間後に、宮中で「隠者の道化師」と題する作品が上演された。国王は席をお立ちになりながら、コンデ公に向かって「モリエールの喜劇に対してあれほど騒ぎ立てる連中が、この喜劇について一言も言わないのは一体どういうことだ?」と仰った。公はそれに答えて「この喜劇はあの連中が気にもかけない天とキリスト教とを愚弄しているのに対して、モリエールの喜劇は彼ら自身を愚弄しているのです。それは彼らにとっては耐えられないことであるからです。」と申された…

1666年、国王から本作の上演に関してある程度の承諾を得た。以前国王に注意を受けたように刺激的な部分を削除し、1667年8月5日、『ペテン師』と改題して上演するも[10]高等法院によって翌日、再び上映禁止となった。高等法院に請願を繰り返すが相手にもされなかったため、最後の手段として戦争でフランス国内にいなかった国王へ請願書を書いて届けさせるも、上映解禁の命は結局下りなかった[11]。同年8月11日、パリの大司教ペレフィックスにより、「タルチュフ」の公的、私的を問わず一切の上演を禁じ、違反者には破門を宣告する旨の通告が発せられた[12]

1669年2月5日になって、ようやく上映禁止の禁令が解除された。これまで上演に猛反発していたキリスト教の狂信者たちの力が封じられたためである。即日上演され、大反響を呼んだ[13]

18世紀にヨーロッパで盛んになった町民劇の先駆的存在とも言える[14]。町民劇では、観客と同時代に生きる紳士淑女を突然襲う不幸をテーマに、主人公の悲劇に観客は涙し、共感を覚え、魂は浄化されて美徳を愛するであろうという主張が貫かれる。本作品の場合、オルゴンは自分の愚かさによって不幸がその身に降りかかるが、彼の家族は全く違う。彼らはタルチュフの正体を看破しているにもかかわらず、オルゴンの狂信のせいで、さまざまな不幸に襲われる。それどころか財産の全額贈与などという愚行によって、一家の主として家族を慈しまねばならないオルゴンに裏切られたショックは大きい。まさにこれは、町民劇の世界そのものである[14]


  1. ^ 俳優座の委嘱を受けて、上演台本として翻訳されたもの。その為、話し易い翻訳を心掛けたとしている[31]
  2. ^ 風紀紊乱を理由に発禁処分を受けるのを避ける為、タルチュフがエルミールに言い寄る場面の科白の一部が伏字になっている。
  3. ^ 全集と銘打たれているが、モリエールの主な作品15編のみ収めた作品集である[32]
  4. ^ 英語訳からの重訳である[32]。登場人物名が全て日本風に書き改められている(例:ベルネル夫人→みね、オルゴン→有賀新兵衛、タルチュフ→鳴神照明など。)また、舞台も日本の巴理なる街に書き改められている。その為、小場瀨卓三は翻案と呼んだ方が良いとしている[33]
  1. ^ 鈴木康 P.149
  2. ^ 鈴木康 P.126-7
  3. ^ Ibid. P.137,引用も同ページから
  4. ^ Ibid. P.137-8
  5. ^ a b 筑摩書房 P.443
  6. ^ 白水社 P.594
  7. ^ 鈴木康 P.140から引用
  8. ^ 白水社 p.596
  9. ^ 白水社 p.596,引用も同ページから
  10. ^ 白水社 p.601
  11. ^ 白水社 p.602
  12. ^ 白水社 p.603
  13. ^ 白水社 p.604,5
  14. ^ a b 鈴木康 P.148
  15. ^ 筑摩書房 P.442,引用も同ページから
  16. ^ 鈴木康 P.141-2
  17. ^ 筑摩書房 P.442
  18. ^ 鈴木康 P.146
  19. ^ 鈴木康 P.147
  20. ^ 鈴木康 P.267,283
  21. ^ 中央公論社 P.199から引用
  22. ^ 鈴木康 P.284-5
  23. ^ 中央公論社 P.236-7から引用
  24. ^ 鈴木康 P.286,引用も同ページから
  25. ^ 鈴木康 P.287
  26. ^ 中央公論社 P.272-3から引用
  27. ^ 鈴木康 P.288
  28. ^ 鈴木康 P.181
  29. ^ 中央公論社 P.242から引用
  30. ^ 鈴木康 P.182
  31. ^ 鈴木力 p.121
  32. ^ a b 鈴木力 p.107
  33. ^ 小場瀬 p.283


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