スマラン事件 結果

スマラン事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 08:02 UTC 版)

結果

スマラン事件は、ジャワ島における武器引き渡しを巡る争乱としては最大の惨劇となった。戦闘の結果、インドネシア側は1000〜2000人が死亡したとも言われる。日本軍は28人が戦死、15人が行方不明となった。また、ブル刑務所に監禁中の日本人は149人が殺害され、30人が行方不明となっている。同じ刑務所に監禁されていたオランダ系などの市民900人は日本軍による救出が間に合ったため死者は出ていない。なお、ブル刑務所で殺害された日本の民間人の1人は、インドネシアの独立を称える遺書を血で壁に書き残していたと言われる[7]

もっとも、インドネシア側では、公式には独立闘争期の一紛争という程度の評価しか与えられていない。インドネシア共和国国軍の戦史にも一文の記述があるだけだという[7]。1999年の指導要領に基づくインドネシアの高校生向け歴史教科書の一冊には、武器引き渡しを巡って起きた「日本軍と青年の激しい戦い」の一例として、「10月14日から19日まで5日間続いた」と記載されている。この時期の日本軍との衝突の全般的な評価としては、最終的に主権が確立できたので無駄な犠牲ではなかったと評している[10]

その後

停戦が成っても周辺地域の治安は完全には回復せず、10月19日にはカリウング(スマラン西方50km)の王子製紙工場が襲撃されて、従業員53人が殺害された。そのほかの殺人や暴行事件も何件か起きている。

マゲラン方面の外国人収容所を救出するため、連合国軍は城戸少佐に出撃を命じ、10月25日に、スマランの日本軍部隊はイギリス軍砲兵とともにマゲランへ侵攻した。日英合同軍はインドネシア側の人民治安軍(TKR)などと交戦しつつ前進し、29日までにマゲラン収容所を保護下に置いた。11月2日には停戦協定が結ばれたが、蘭印政府軍が活動するなどの協定違反があったとしてインドネシア側が攻撃を再開し、20日頃には再び戦闘が始まってしまった。最終的にはマゲランの収容者はスマランを経由してジャワ島外へ移送されている[11]

ジャワ島で終戦後、1947年の復員完了までに日本人が出した死者は、戦死562人、自殺60人、病死・事故死456人の計1078人に上る。そのうち多くはスマラン事件同様の武器引き渡しを巡る紛争に起因するものであった。武器引き渡しを巡る戦傷者も330人出ている。連合国軍によって日本軍に課された治安戦闘任務のような危険な使役は、既述のようにラングーン協定に基づくとされる。しかし、日本軍が「降伏軍人」と称しても実質的に捕虜の地位にあったことにかんがみると、捕虜虐待にあたる重大かつ明白な戦時国際法違反であるとの指摘がある[2]

一連の騒乱の過程で、ジャワ島の旧日本軍武器のうち小銃類4万丁などがインドネシア独立派の手に渡った[12]。スラバヤなどで正規に引き渡されたもののほか、強奪されたものや、密かに日本軍が横流ししたものなどがある。一説にはジャワ島の旧日本軍の所有兵器全体の2/3から3/4を独立派が入手したと言われる[13]。これらはイギリス軍とのスラバヤの戦い英語版などで主要な武器として使用されることになった。

脚注


  1. ^ a b 防衛庁防衛研修所戦史室、457-458頁。
  2. ^ a b 秦ほか、271-273頁、「東南アジア独立戦争にかりだされた日本軍」(喜多義人担当)。
  3. ^ 加藤、232頁。
  4. ^ 加藤、235頁。
  5. ^ a b 加藤、233頁。
  6. ^ 加藤、236頁。
  7. ^ a b c d e 秦ほか、263-266頁、「スマラン事件」(小座野八光担当)。
  8. ^ 加藤、234頁。
  9. ^ a b 防衛庁防衛研修所戦史室、458頁。
  10. ^ イ・ワヤン・バドリカ、292-293頁。
  11. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室、459頁。
  12. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室、461頁。
  13. ^ 加藤、237頁。





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