スパルタ 対外関係

スパルタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 05:21 UTC 版)

対外関係

テルモピュライの戦い

数的に劣る市民のみで被抑圧民の反乱を鎮圧するためにも、勇猛果敢な市民兵軍団を組織する必要があったスパルタは、前6世紀半ばまでにはギリシア屈指の強国へと成長し、周辺のエリステゲアなどとペロポネソス同盟を結んだ。この同盟締結は、アテネのデロス同盟結成より早いものであり、早い段階よりスパルタが対外関係を構築していたことを示している。

そのスパルタの市民軍は、ペルシア戦争においてその真価を発揮した。紀元前480年、破竹の勢いで侵攻を進めるペルシアの大軍に対し、ギリシア諸都市連合軍の作戦立案を担当したアテナイのテミストクレスは、山間のテルモピュライでペルシアの侵攻を食い止める作戦を立てた。この戦場は主にスパルタが担った。しかし地元民に内通者が出てペルシア軍に迂回路を教えたため、背後を突かれて窮地に陥ることとなった。そこでスパルタ王レオニダス1世は他の諸都市の兵4000を先に逃亡させた後、自ら300人のスパルタ兵と700人のテスピアイ兵、400人のテバイ兵を率いて囮となり、玉砕した(テルモピュライの戦い)。この時間稼ぎが、アテナイ海軍にペルシア軍を海上で迎撃する態勢を整えさせ、サラミス沖の海戦での勝利を可能にした。レオニダスとスパルタ軍の勇敢な戦いぶりは全ギリシア人から称賛を受けた。

ギリシア神話

ギリシア神話では、トロイア戦争の原因となったヘレネの夫メネラオスがスパルタ王となっているが、トロイア戦争はミケーネ文明時代の話であるため、メネラオスのスパルタは後世のスパルタとは別の国である。

後世のスパルタの建国神話はヘラクレイダイヘーラクレースの末裔)のペロポネソス半島への帰還と共に語られている。王位簒奪を恐れたエウリュステウスによって故郷を追われていたヘラクレスの子孫たちは、アルゴスを打ち倒し、三代目にしてやっと故郷の地であるペロポネソス半島へと帰還することができた。この時、ヘラクレイダイは領地を分け合った。すなわち、アルゴスをテメノスが、メッセニアをクレスポンテスが、スパルタをアリストデーモスが支配することになった。この中で、アリストデーモスは雷に打たれて既に死亡していたため、その子供たちがスパルタを支配することになった。彼らの名前はエウリュステネスプロクレスと言い、エウリュステネスがスパルタ王家のアギス朝、プロクレスがエウリュポン朝の創始者となった。彼らは仲が悪かったため、二つの王家は一つになることはなく、スパルタには代々二人の王が並立することになった。

こうして、スパルタはヘラクレイダイによって統治され、スパルタ人は大英雄ヘーラクレースの血統に組み込まれたのであった。

関連作品


  1. ^ 『図解雑学 世界の歴史』(岡田功/ナツメ社/2001年)
  2. ^ ヘロドトス歴史 1.199、A.D. Godley訳(1920)
  3. ^ 例えばジェームズ・フレイザー (1922), 金枝篇, 3e, Chapter 31: Adonis in Cyprusなど
  4. ^ Stephanie Budin, The Myth of Sacred Prostitution in Antiquity (Cambridge University Press, 2009)


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