ジョヴァンニ・ジョリッティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 00:35 UTC 版)
生涯
クーネオ県のモンドヴィ生まれでブルジョワ階級の出身である。20世紀初頭に幾度か首相をつとめ、イタリアの工業化などに尽力した。第一次世界大戦後の1920年に再び首相になったとき、イタリアは深刻な不況下におかれ、労働運動や貧農の暴動などが激化していた。彼は労働運動の穏健派と交渉を重ね、事態を収拾させた。また、フィウーメ問題をめぐり台頭していた国内の対フィウーメ強硬派を抑えることにも成功した。総じてジョリッティは、左右の急進派を牽制して中道的な自由主義者として振る舞った。しかし、その中でベニート・ムッソリーニ(フィウーメ問題においてはよりガブリエーレ・ダンヌンツィオの方が強硬姿勢をとっていた)の力を軽視し、彼と結んで左右両勢力の弱体化を図ったことは功を奏せず、ファシズムの台頭を許したともされる。
孫のアントニオ・ジョリッティも政治家で、イタリア共産党やイタリア社会党で活動し予算大臣を務めた。
関連項目
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固有名詞の分類
イタリアの政治家 |
ベネデット・クローチェ ジュゼッペ・ザナルデッリ ジョヴァンニ・ジョリッティ エンリコ・マッテイ マッシモ・ダレマ |
イタリア王国の首相 |
ロドルフォ・グラッツィアーニ ピエトロ・バドリオ ヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド ジュゼッペ・ザナルデッリ ジョヴァンニ・ジョリッティ |
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