サード (企業)
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ル・マン24時間レース
1990年(平成2年)、トヨタ・90C-Vで15年ぶりにル・マン参戦を果たしたがリタイヤに終わった。翌年は参戦を休止、1992年(平成4年)は92C-Vで参戦し9位で完走。翌1993年(平成5年)は総合5位、カテゴリー2クラス優勝を飾る。グループC時代が終焉し、プライベーターのみの参戦となった1994年(平成6年)はLMP1クラスに94C-Vで参戦。今も語り継がれる伝説のレース。エディ・アーバイン/マウロ・マルティニ/ジェフ・クロスノフ組が残り1時間までトップを快走し、サード・トヨタの初優勝は目前だったが、シフトリンケージが折れるトラブルで後退、2位入賞に留まった。なお94C-Vはル・マン博物館に現在も展示されている。
1995年(平成7年)以降はスープラとMC8Rで参戦したが満足な結果は残せず、トヨタの支援を受けるスープラのプロジェクトは1996年(平成8年)一杯で休止。オリジナルのMC8Rでのチャレンジは翌1997年(平成9年)も続いたが、この年は予備予選落ち。以降サードのル・マン参戦は休止していた。
2015年、スイスのモラン・レーシングとジョイントし、WEC(FIA 世界耐久選手権) にLMP2クラスからフル参戦を発表、18年ぶりにル・マン24時間レースの復帰を2台エントリーで果たす予定だった[3][4]。チーム名はSARD MORAND[5]。しかし、交渉に問題が発生した。結果、当初乗る予定であった日本エントリー39号車嵯峨宏紀とクリスチャン・クリエンは結局一戦も走る事ができず、スイスエントリーの43号車のみの参戦となり、その1台にサードのバッジネームでジャッド製エンジン(モーガン・LMP2 Evo-SARD)が供給される形となった[5]。マシンの横にはPOWERD by SARD Racingと表記される。ル・マン24時間レースはリタイヤだった[5]。
- ^ Hirano, Ryuji「開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る:TGR TEAM SARD」『オートスポーツ』、2020年4月6日。2020年4月7日閲覧。
- ^ 『エアレースパイロット室屋義秀選手のチーム・エンジニアリングを今季もサポート継続!』(プレスリリース)株式会社サード、2017年5月10日 。2017年5月14日閲覧。
- ^ Dagys, John「Team SARD-Morand Confirms Two-Car LMP2 Entry」『Sportscar 365』、2015年1月31日。2023年3月8日閲覧。
- ^ 「サード、来季ル・マン参戦へ。首脳陣がELMS訪問」『オートスポーツ』、2014年9月16日。2023年3月8日閲覧。
- ^ a b c 「2015ル・マン24時間 決勝レース結果」『オートスポーツ』、2015年6月14日。2023年3月8日閲覧。
- ^ 「「航空機格納庫」予想図公開 福島・スカイパークにサードが建設」『福島民友新聞』、2018年1月18日。2023年3月8日閲覧。オリジナルの2018年2月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「愛知の車両部品メーカー「サード」、水陸両用飛行機「SA4N-300」開発へ」『FlyTeam ニュース』、2015年8月8日。2023年3月8日閲覧。
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