エールウィン (DD-47) 艦歴

エールウィン (DD-47)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/14 16:13 UTC 版)

艦歴

エールウィンは1912年3月7日にペンシルベニア州フィラデルフィアウィリアム・クランプ・アンド・サンズ社で起工した。1912年11月23日にジョーゼフ・ライト・パウエル夫人によって命名、進水し、1914年1月17日に艦長リー・C・パーマー少佐の指揮下就役する。

キューバへの短期間の巡航に続いて、エールウィンはノーフォーク海軍造船所で予備役に置かれ、不活性化のまま1年以上保管された。1915年5月25日に再就役、大西洋艦隊水雷小艦隊第6分隊に配属される。その後東海岸沿いに巡航し、定期的にパトロールを行った。

1917年初頭にキューバ海域に向かい、冬季演習に従事、アメリカ合衆国第一次世界大戦参戦に従いバージニア岬沖に帰還した。1917年6月から1918年1月までマサチューセッツ州ボストンおよびロードアイランド州ニューポート沖で特別実験に参加した。

1918年1月4日にエールウィンはアイルランドクイーンズタウンに向けて出航した。到着後間もなくパトロールを開始する。しかしながら間もなくその任務を解かれ、イングランドポーツマスおよびデヴォンポートを拠点として対潜哨戒を行うイギリス軍部隊に加わった。

エールウィンは終戦後もヨーロッパ水域に留まった。1918年12月26日に軽巡洋艦チェスター (USS Chester, CL-1) と共にバルト海ドイツの港の視察巡航に向かった。連合国軍の海軍休戦委員会の指揮下で作戦活動に従事したエールウィンは、ドイツの港からアメリカ軍の戦時捕虜および市民を搬送した。1919年6月16日にエールウィンはフランスブレストを出航し帰国の途につき、10日後にニューヨークに到着した。その後フィラデルフィア海軍造船所に向かい、同地で予備役に置かれた。

不活性化状態の1920年7月17日にエールウィンは DD-47 の艦番号を与えられ、1921年2月23日に退役した。新たに建造される艦にエールウィンの艦名を与えるため、1933年7月1日に艦名が取り消された。その後は単に DD-47 と呼ばれるようになった。1935年3月8日に除籍され、ロンドン海軍軍縮条約の下スクラップとして売却された。

エールウィンの艦名は、1935年に就役したファラガット級駆逐艦の一隻であるDD-355に受け継がれた。




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