破鏡重円とは? わかりやすく解説

破鏡重円

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/02 03:52 UTC 版)

徐徳言」の記事における「破鏡重円」の解説

唐の孟棨の『本事詩』や『太平御覧』などに紹介される物語によると、徐徳言は陳の後主皇太子陳胤近侍である太子舎人であり、第4代皇帝宣帝の娘の楽昌公主を妻とし、その駙馬女婿になったという。 当時、陳は後主失政により衰退しており、遠からず北朝の隋によって滅ぼされるのは明らかだった戦乱によって妻と離ればなれになることを案じた徐徳言は、家宝である鏡を割って片方を妻の楽昌公主渡し、もう片方自分が持つことにした。そして鏡を互い再会の証として、彼女に翌年正月15日市場売り出すようにといって別れた。まもなく陳は隋によって滅ぼされ公主は隋の宰相であった越国楊素側室となった徐徳言約束通り正月15日、都の市場行ってみると、果たし公主渡した鏡の半分大変な高値売られているのを見つけた徐徳言は鏡を売っていた商人事情話し彼の持っていた鏡の半分合わせ、鏡に詩を一首書き付け、それを楽昌公主に渡すよう頼んだ。 破鏡重円 鏡与人倶去 鏡は人と倶に去り 鏡帰人不帰 鏡は帰るも人は帰らず 無復姮娥影 復する無し 姮娥(こうが、ここでは楽昌公主のこと)の影 空留明月輝 空しく留む 明月の輝 楽昌公主渡された鏡と詩を見るや悲嘆暮れ食事ものどを通らないほどであった事情知った楊素は、徐徳言召しだし、潔く公主彼に返すと、2人餞別贈って江南に戻らせたという。この逸話により、引き裂かれ夫婦が再び結ばれることを意味する「破鏡重円」(はきょうじゅうえん、あるいは「破鏡合嘆」「破鏡合一」)の故事生まれた。 ただし、この逸話小説の類であり、史実としての信憑性には疑問がある。

※この「破鏡重円」の解説は、「徐徳言」の解説の一部です。
「破鏡重円」を含む「徐徳言」の記事については、「徐徳言」の概要を参照ください。

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