n = 14 :ディリクレおよび n = 7 :ラメ、ルベーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:31 UTC 版)
「フェルマーの最終定理」の記事における「n = 14 :ディリクレおよび n = 7 :ラメ、ルベーグ」の解説
1832年にディリクレは n = 14 の場合を証明したが、上述の通り n が素数である場合の方が肝要なので、これは n = 7 の場合を証明するための途中経過であった。しかし実際に n = 7 の場合を証明したのはガブリエル・ラメ(1839年)と、ラメの証明に含まれていた誤りを訂正したヴィクトル=アメデ・ルベーグ(英語版)(1840年)であった。 1847年、ラメは「フェルマー予想の一般的解法を発見した」と発表し、同じ解法を自分の方が先に発見していたと主張するオーギュスタン=ルイ・コーシーとの間で論争にまでなった。しかしこの解法とは xn + yn = zn の左辺を複素数で素因子分解するというものであり、この分解は一意的なものでないためこの問題に関する解法たりえていないことが指摘される。 また、n = 7 の場合についてのラメの証明があまりにも複雑なものだったため、同様の手法で n = 11 や 13 の場合について研究してみようと思う者はいなくなり、個別研究の時代は終わる。
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