JUSTY-NASTYとCRAZEその後の一時的な引退状態(1987~1997)
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JAIL BAIT、AION、MEIN KAMPF、VANGUARDでRODの名での活動を経て、1987年1月に藤崎賢一を中心にJUSTY-NASTYを結成、インディーズで活動、Night Gallery/ROSEよりアルバム『PLEASURE OF THE SLUTS』などをリリース。1989年6月25日、ポリスター/ジェロニモよりアルバム『CRASH』をリリースしJUSTY-NASTYのヴォーカリストとしてメジャーデビュー。JUSTY-NASTYではシングル『ジェラシー』『盗まれた瞳』、アルバム『Justy-Nasty』『J』など、9枚のシングルと10枚のアルバムをリリース。 JUSTY-NASTY在籍時のソロ活動から派生したセッションバンドSPYは、BODY結成のきっかけとなり、藤崎自身も後に在籍することとなるCRAZE誕生の契機となった。 JUSTY-NASTY解散後の1995年3月、CRAZEへ参加、ツアー「COUNT DOWN TO FREEDOM TOUR 1995」「BEAT CRAZE ACT1」「BEAT CRAZE ACT2」を行いフロントマンを務めメジャーデビューシングル『NAKED BLUE』をリリースし人気を博す。アルバム『BE CRAZY』『THAT'S LIFE』『BEAT SO LONELY, ALL NIGHT LONG』などをリリース後、1997年12月に脱退し、暫くの間引退状態に入る。
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