JPモルガンと分業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 17:44 UTC 版)
「バンク・オブ・ニューヨーク」の記事における「JPモルガンと分業」の解説
1982年、カーター社長(J. Carter Bacot)が持ち上がりで会長となった。カーターは郊外のリテール事業を大胆に売却し、投資銀行業務や資本市場から撤退して、ロングアイランドに腰を据えた。1987年、ニューヨーク銀行はロングアイランド信託を買収した。この会社は1962年にケミカル(現JPモルガン・チェース)が買収しようとして連邦準備制度理事会に却下されていた。1988年12月30日、アービング銀行を買収。同行は1907年恐慌の端緒となったニッカーボッカー信託会社を1923年に買収していた。ニューヨーク銀行は同行を買収するとすぐ本部を現バンク・オブ・ニューヨーク・ビルへ移転した。 1990年代に入り、JPモルガンと連携し合併・買収をさらに拡大させた。バンカーズ・トラスト(現ドイツ銀行)の代理店業(1990年)とバークレイズのニューヨーク支店(1992年)を買収した。ニュージャージー州のナショナル・コミュニティ銀行や、パトナム信託も買収している。パトナムはカナダのパワー・コーポレーションが利用するシャドー・バンキング・システムであった。1993年にはステート・ストリートがスパイダーという上場投資信託を市場へ送り出したが、ニューヨーク銀行も1995年に追随した(Mid-Cap SPDRs)。1998年に会長が交代した(Thomas Renyi)。1999年エドモンド・サフラのリパブリック銀行が違法取引をしている容疑で捜査が行われ、ニューヨーク銀行の口座で資金洗浄の痕跡が発見された(ロシア銀行とセミオン・モギレヴィッチも参照)。2000年アイビー以外に9社を買収した(Harris Trust, SG Cowen, Schloder & Co., BHF Securities, and GENA)。2003年、金融機関向けに証券クリアリング業務の外注を請け負っていたパーシング社をクレディ・スイス・ファースト・ボストンから買収した。カーターは同年まで重役であった。 2005年、テレコム・アルゼンチン(Telecom Argentina)の破産・債務整理者に指名される。同社はアルゼンチンの度重なる経済危機で15億ドルもの負債を抱えており、同国法人の債務整理としては過去最大規模となった。同2005年末、資金洗浄をめぐる事件について連邦当局と3800万ドルの和解金で決着した。この事件は、同行ロシア系元副頭取により引き起こされたもので、70億ドル以上の資金移動が発覚し、9人が起訴された。2006年4月7日、JPモルガン・チェースから法人信託部門(28億ドル)を取得し、代わりに消費者・中小企業向けのリテール営業(31億ドル、338支店)を譲渡すると発表した。
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