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GLAY | |
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GLAY
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/05 08:44 UTC 版)
| GLAY | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック ビートロック ポップ J-POP |
| 活動期間 | 1988年 - |
| レーベル | プラチナム・レコード (1994年 - 1998年) アンリミテッド・レコード (1998年 - 2005年) キャピトル・レコード (2006年 - ) ポリドール・レコード (1994年 - 1999年) ポニーキャニオン (1999年 - 2003年) 東芝EMI/EMIミュージック・ジャパン (2003年 - 2010年) loversoul music & associates (2010年 - ) |
| 共同作業者 | 佐久間正英 (プロデューサー) 永井利光 (ドラムス) 永井誠一郎 (キーボード) |
| 公式サイト | GLAY OFFICIAL WEB SITE(音量注意) |
| メンバー | |
| TERU (ボーカル) TAKURO (ギター) HISASHI (ギター) JIRO (ベース) |
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| 旧メンバー | |
| AKIRA (ドラムス) NOBUMASA (ドラムス) |
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GLAY(グレイ)は、日本のロックバンド[1]。1994年にメジャーデビュー。 1990年代後半に圧倒的なセールスを記録。代表作として、ミリオンセラーを記録した「HOWEVER」「誘惑」「SOUL LOVE」「BE WITH YOU」「Winter,again」「とまどい/SPECIAL THANKS」などが挙げられる(シングルのミリオンセラー作品数としては日本歴代3位)。1999年7月31日には、幕張メッセ駐車場特設ステージでの単発コンサート『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO'99 SURVIVAL』において20万人を動員した。(この動員数は2012年現在日本記録、有料ライブに限れば世界記録となっている。)
概要
1988年にTERU・TAKUROを中心に結成。その後TAKUROの高校時代の友人であったHISASHI、さらに上京後、地元が一緒で顔見知りだったJIROを加え、1994年5月25日にシングル「RAIN」でメジャーデビュー。1995年に「Yes, Summerdays」が注目を受け、1996年に「グロリアス」がヒット。その後2ndアルバム『BEAT out!』がオリコン初登場1位を獲得。以降「BELOVED」「口唇」「HOWEVER」などがヒット。1997年に発売のベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』が当時の歴代アルバムセールス1位の約488万枚を記録し、1998年から1999年までのベストアルバムブームのきっかけとなる。また1998年2月にはコンサートチケット予約の電話が殺到して電話回線がパンクするという事態も起き、その出来事が新聞に掲載されるほどにまで人気が絶頂した。
それ以後も1998年に同時リリースされた「誘惑」「SOUL LOVE」などヒット曲を連発。「サバイバル」が歴代ビデオシングル1位を記録。1999年3月には東京ドームで5日間のライブを決行。同年7月31日、幕張メッセ屋外有料駐車場で『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO'99 SURVIVAL』を行い1公演で観客20万人を動員(2011年現在日本最多、有料ライブに限れば世界最多の動員数)。前代未聞の規模に多くのメディアは、当日の模様を報じ、スポーツ紙のみならず一般紙の1面に掲載されるなど、社会現象になった。12月には「Winter,again」で第41回日本レコード大賞を受賞(後に、レコード大賞受賞を巡り、解散の危機になっていたことが明らかになった)。また同じEXTASY RECORDSからCDをリリースしたLUNA SEAと1999年12月に東京ドームで対バンを行った。この1998年から2000年はビジュアル系ロックバンド全盛期と呼ばれ、同時期にブレイクしたL'Arc〜en〜Cielと共に当時の音楽界を牽引していった。当時のGLAYは自らヴィジュアル系を名乗るなど肯定的な姿勢を示していた(現在のGLAYについてはヴィジュアル系ではないとする見方が強いが、このことについてメンバー自身は特に否定的ではない[2])。
2000年代に入ると爆発的な人気は収束を見せるが、GLAY EXPO等の大規模野外ライブを度々行い、また2010年までシングルまたはアルバムで各年ごとに少なくとも1作品はオリコンチャート週間1位を獲得しているなど、ファンの支持は根強い。この年代において特筆すべきライブとしては、2002年に日中国交正常化30周年を記念して北京にて『GLAY ONE LOVE in 北京』を決行したことが挙げられる。この時には中国最高指導者江沢民への表敬訪問を実現した。
2005年に事務所を独立、2010年には自主レーベルを設立するなど近年は独立志向が強い。デビュー以来2011年現在に至るまで活動休止を宣言したことはなく、新譜の発売やライブ活動を毎年コンスタントに行っており、総じて精力的に活動を続けている。
2011年現在シングルでは「口唇」「HOWEVER」「誘惑」「SOUL LOVE」「BE WITH YOU」「Winter,again」「ここではない、どこかへ」「とまどい/SPECIAL THANKS」の8作品が、アルバムでは『BELOVED』『REVIEW-BEST OF GLAY』『pure soul』『HEAVY GAUGE』『DRIVE-GLAY complete BEST』の5作品が日本レコード協会からミリオン認定を受けている。オリコンの集計では「口唇」「ここではない、どこかへ」を除く6作品がミリオンセラーとなっており、シングルミリオンセラー作品数はB'z、Mr.Childrenに次いで日本歴代3位である。
2011年現在レコード会社は「フォーライフミュージックエンタテイメント」に、レーベルはメンバーが自ら設立した「loversoul music & associates」に所属している。ただし自主レーベルに所属しているとはいえフォーライフミュージックエンタテイメントは日本レコード協会に所属しているので、GLAYはインディーズではなくメジャーである。
メンバー
メンバー個人についての詳細は、各個人項目を参照のこと。
- TERU(テル)
- ボーカル担当。
- 本名は小橋 照彦(こばし てるひこ)。GLAY結成時からのメンバー。ライブではアコースティック・ギター(「とまどい」など)やブルースハープ(「Cynical」など)を演奏することもある。結成当初のパートはドラムであったこともあり、TERU作詞作曲の「Little Lovebirds」ではドラムを演奏している。GLAYのフロントマンとしてライブでのMCのほとんどを担当している。
- ライブの定位置はステージ中央。
- TAKURO(タクロウ)
- ギター担当。
- 本名は久保 琢郎(くぼ たくろう)。GLAY結成時からのリーダー。リズムギターを担っていることが多いがギターソロを演奏することもあり(「Winter,again」など)、「彼女の“Modern…”」のギターソロなどではHISASHIとのツインギターも聴くことが出来る。「HAPPINESS」などではピアノを弾くこともある。GLAYのほとんどの楽曲(特にシングルCDA面曲は全曲)の作詞作曲を行っている。
- ライブではコーラスを担当することも多く、また「君が見つめた海」の一部ではボーカルを担当し、「おまえと供にある」ではTAKUROがメインボーカルを担当した。
- ライブの定位置はステージ上手。
- HISASHI(ヒサシ)
- ギター担当。
- 本名は外村 尚(とのむら ひさし)。リードギターを担っていることが多く、ギターソロやギターリフの多くはHISASHIによるものである。ライブでは「嫉妬」などでテルミンも演奏している。インストゥルメンタル曲やライブでのSEのほとんどの作曲とプログラミングを行っている。TAKURO・JIROよりは少ないものの、ライブではコーラスも担当する。
- ライブの定位置はステージ下手。
- JIRO(ジロウ)
- ベース担当。
- 本名は和山 義仁(わやま よしひと)。現メンバーの中で唯一上京後にGLAYに加入。TAKUROと並んでライブではコーラスを担当しており、JIROが作曲した楽曲では一部ボーカルを担当しているものもある。「ストロベリーシェイク」ではメインボーカルを担当した。
- ライブの定位置はHISASHIとTERUの間。
青森県弘前市で生まれ、小学生時代に函館の学校へ転校したHISASHI以外は北海道函館市の出身である。また、JIRO以外の3人は学年が等しく、JIROは1学年下である。
メンバー同士非常に仲が良く、それぞれの誕生パーティーを行ったり、4人でスノーボードやコンサートなどに出掛けたりするほどである。
旧メンバー
- ISO(イソ)
- ドラムス担当。1992年に在籍。[3]
- SHINGO(シンゴ)
- ドラムス、ベース担当。1990年から1992年まで在籍。元々GLAYのメンバーとは函館時代からの友人であり、「DILDO」という別のバンドを率いて上京してきたところ、GLAYに加入。本業はベースだったが、メンバーにドラムスが見つからなかった場合はドラムも兼任した。GLAYが『三宅裕司のいかすバンド天国』に出演した際にも在籍していた。
- AKIRA(アキラ)
- ドラムス担当。1992年5月から1994年1月まで在籍。メジャーデビュー直前に脱退。「RAIN」「真夏の扉」「Life 〜遠い空の下で〜」と『灰とダイヤモンド』の全曲においてAKIRAがドラムスを担当した音源が残っている。本名は上島明。
- NOBUMASA(ノブマサ)
- ドラムス担当。メジャーデビュー(1994年)から1995年4月まで在籍。当初はサポートメンバーとして参加したが後に正式加入、間もなく事務所の意向で脱退させられる。以降ドラムスの正式メンバーは加入させることはなく、永井利光(TOSHI)をサポートメンバーとして迎えている。音源としてNOBUMASAがドラムスを担当したものは残っていない。本名は大庭伸公。
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- ^ “GLAY - goo 音楽”. goo. 2009年8月24日閲覧。
- ^ http://twitter.com/TE_RUR_ET/status/28954859493
- ^ 旧メンバーであるAKIRAの著書『Beat of GLAY』(1999年2月20日)にAKIRAが加入する前のドラムスについても書かれている。
日本テレビ『アリゾナの魔法』2005年1月28日 23:25〜23:55放送ででてきたGLAYの過去のライブポスターのメンバー一覧にも書かれていた。 - ^ “GLAY「THE GREAT VACATION VOL.2〜SUPER BEST OF GLAY〜」特集”. goo. 2010年1月6日閲覧。
- ^ この時期から、元JUDY AND MARYのYUKI(函館出身)とJIROは知り合い。高校時代から顔見知りであったことを火曜2部深夜3時のYUKIのオールナイトニッポンでYUKIが述べた。また、TAKUROの著書『胸懐』ではTAKUROらも当時から別にバンドをやっていたYUKIとは顔見知りで、彼女の通っている高校でGLAYが人気である事を聞き、夜中にライブのポスターを貼りに行ったが実は貼った次の日からは夏休みだったというエピソードが語られている。
- ^ a b 田家秀樹 『夢の絆—GLAY document story 2001-2002』 角川書店、2002年。ISBN 4048835467。
- ^ このコラボレーションに際しては、メンバーは「GLAYを続けていたことに対するごほうび」との旨発言している。
固有名詞の分類
- GLAY 15th Anniversary Special Live 2009meVIEWsa radio
GLAYに関連した本
- バンドスコア GLAY/DRIVE-GLAY complete BEST ドレミ楽譜出版社
- JIRO/GLAY (リットーミュージック・ムック BASS MAGAZINE SPECIAL) ベース・マガジン編集部 リットーミュージック
- バンドスコア GLAY/GLAY (BAND SCORE) ドレミ楽譜出版社
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