CMB の黒体放射曲線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/18 05:34 UTC 版)
COBE の長い準備期間の間に、天文学の分野で二つの大きな進展があった。まず1981年に、米国プリンストン大学のデービッド・ウィルキンソンとイタリアのフィレンツェ大学のフランチェスコ・メルキオーリの二つの天文学者チームがそれぞれ独立に、気球に搭載した観測装置を使って CMB に四重極分布を検出したと発表した。この発見は CMB の黒体放射分布を検出するはずのもので、COBE に搭載された FIRAS も黒体放射分布を測定するための装置であった。しかし、他の多くの実験グループが彼らの結果の追試を試みたが同じ結果は得られなかった (Leverington, 2000)。 もう一つは1987年に、カリフォルニア大学バークレー校のアンドリュー・レンジとポール・リチャードソン及び名古屋大学の松本敏雄の日米共同チームが、CMB が真の黒体放射でないとする結果を発表した。彼らは観測ロケットによる実験で、0.5mm から 0.7mm の波長域で CMB の強度が黒体放射よりも超過していることを検出した。これらの結果はビッグバン理論全体の正当性に疑問を投げかけ、定常宇宙論の方をより支持するとも言えるものだった。 これらの観測結果が COBE ミッションの背景にあったため、研究者たちは FIRAS の観測結果を強く待望していた。FIRAS の観測結果は衝撃的なもので、CMB と2.7Kの黒体放射の理論曲線が完全に一致することを示していた。これによってバークレーと名古屋大の観測結果は誤りであることが明らかになった。 FIRAS の測定は、空の直径7度の小領域内の CMB スペクトルと黒体放射との差を調べるというものだった。FIRAS の干渉計は 20 cm-1 離れた二つのバンドで 2 - 95 cm-1 までの周波数域をカバーしていた。スキャンの長さとスキャンの速度にはそれぞれ2通りあり、全部で4つのスキャンモードがあった。観測データは合計10ヶ月以上にわたって収集された。
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