BM.12船団とは? わかりやすく解説

BM.12船団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 19:13 UTC 版)

ジャワ沖海戦」の記事における「BM.12船団」の解説

連合国軍窮地においこまれシンガポールを救うために、軍隊輸送船活用して増援部隊送り込んでいた。ボンベイマレーヤ頭文字から“BM船団”と呼称されていた。2月3日、BM.12船団はとDM.2船団イギリス海軍重巡エクセター (HMS Exeter, 68) と軽巡ダナエー (HMS Danae, D44) および英連邦諸国小型艦艇、オランダ海軍軽巡ジャワ (Hr. Ms. Java) に護衛されスンダ海峡通過したジャワ島バタヴィア行きのDM.2船団別れたBM.12船団(輸送船4隻乃至5隻)は北上してシンガポール目指す連合軍輸送船団動きは、日本側に察知されていた。2月4日バンカ島スマトラ島の間のバンカ海峡英語版)で日本軍陸上攻撃機襲われる攻撃部隊は、ボルネオ島西部クチンから飛来し元山海軍航空隊陸攻9機と美幌海軍航空隊陸攻6機であった日本海軍基地航空隊は「重巡1隻、軽巡1隻、駆逐艦4隻、商船5隻」を発見し、2トン商船2隻、護衛艦艇1隻撃沈報告したが、BM.12船団に目立った被害はなかった。 2月5日、BM.12船団はシンガポール到着寸前日本陸軍航空隊襲撃され輸送船2隻(フェリックス・ルーセル、エンプレス・オブ・エイジア)が直撃弾を受けて炎上エンプレス・オブ・エイジア (RMS Empress of Asia) は炎上して沈没した乗船中の陸軍兵の大半護衛護衛艦ヤラ (HMAS Yarra, U77) や、シンガポール港から救援かけつけた小型艇救助された。日本記録では、第3飛行集団第3飛行団一部シンガポール南方海上敵艦船を攻撃し1万トン艦船1隻撃沈、6,000トン艦船1隻炎上航行不能、3,000トン艦船3隻に命中弾を与えた報じている。エンプレス・オブ・エイジアの他に目立った被害はなく、BM.12船団はシンガポールへの増援輸送成功した2月15日シンガポール陥落した

※この「BM.12船団」の解説は、「ジャワ沖海戦」の解説の一部です。
「BM.12船団」を含む「ジャワ沖海戦」の記事については、「ジャワ沖海戦」の概要を参照ください。

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