7人でのデビューまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:39 UTC 版)
「ジャニーズWEST」の記事における「7人でのデビューまで」の解説
デビュー後の『Myojo』(集英社)のインタビューで、デビューまでの事情をメンバーが明かしている。2013年9月に藤井以外の6人が出演した舞台『ANOTHER』の出演中に、事務所関係者から藤井、神山、濵田を含めた7人でデビューする旨は伝えられていた。その後グループ名やデビュー曲をどうするかの打ち合わせに入っており、同年12月31日に行われた『ジャニーズカウントダウンライブ』でお披露目されるものとメンバーは思っていた。しかし、カウントダウンライブの直前になって事務所から「関西ジャニーズJr.として出演する」と言われ、その後「出演がなくなった」ことが7人に告げられた。 話が二転三転した後「やっぱり出演することになった。東京に来てほしい。」との連絡を受けて新幹線に乗車したメンバーは、重岡、桐山、中間、小瀧だけだった。東京での打ち合わせの際に中間が「なぜ4人なのか」とスタッフに問い詰めたところ「4人でデビューする」と告げられた。4人のメンバーはカウントダウンライブの数時間前に3人にそのことを伝え、その後の公演に出演したが、公演中4人は全く笑顔になれる心境ではなかった。直後の2014年1月4日に行われた関西ジャニーズJr.のコンサート中、4人は3人と顔を合わせることもできず、中間は「地獄だった」と語っている。 その後、メンバーは「7人でデビューさせて欲しい」と嘆願し続け、7人でCDデビューできることになった。この嘆願の中心になったのは重岡であり「『4人ではなく7人で』と最初から諦めなかったのは、重岡だった」と複数のメンバーが答えている。この件に関し重岡は「4人と言われて一旦は受け入れたが、7人という思いを捨てられなかった。(当初入れなかった3人を)感情的に入れたいという気持ちもあったが、それだけでどうこう出来るものではない。自分は、グループとして国民的グループになりたい。その為には3人の力が絶対必要だと思った。」と語っている。
※この「7人でのデビューまで」の解説は、「ジャニーズWEST」の解説の一部です。
「7人でのデビューまで」を含む「ジャニーズWEST」の記事については、「ジャニーズWEST」の概要を参照ください。
- 7人でのデビューまでのページへのリンク