7、8号機の増設計画の経緯と中止
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「福島第一原子力発電所」の記事における「7、8号機の増設計画の経緯と中止」の解説
詳細は「福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯」を参照 元々本発電所の敷地は広大で、上述のように8基程度の炉を設置することが可能と見られていた。1991年に双葉町は増設誘致決議を行い、東京電力も自社の長期計画に1993年より明記、1994年にはその予定地が本発電所であると明らかにし、単機出力138万kWのABWRを予定した。しかし福島県知事であった佐藤栄佐久との間には温度差があり、2002年に発覚したトラブル隠し事件などが追い打ちとなり県は受入を表明せず、計画は一向に進展しなかった。2011年3月に爆発事故を起こした後の同年5月20日、東京電力は計画を正式に中止した。佐藤雄平知事は「当然の結論」とのコメントを出した。浪江町の馬場有町長は住民感情を理由として5、6号機の廃炉も提言している。
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