1980年代のパンク・ロック
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「パンク・ロック」の記事における「1980年代のパンク・ロック」の解説
1978年にセックス・ピストルズは解散し、パンクの時代からニュー・ウェイヴの時代へと変化していった。しかし1980年代、クラス、ディスチャージ、G.B.H.、エクスプロイテッドといったネオ・パンクバンドが次々に登場し、いわゆる「ハードコア(極端)・パンクが話題となった。「アナーキー&ピース」をスローガンに掲げたクラスは、メンバーが共同生活を送るなど、反体制、アナーキズムを貫き、パンク・ロックにより過激な主張を持ち込んだ。 アメリカにおいても、1970年代後半に新しいバンドが次々と誕生、デッド・ケネディーズ、ブラック・フラッグといった有力バンドにより、各地で新しいパンク・シーンが生まれた 。アンダーグラウンド・レベルのシーンを支えた西海岸のファンジンの中には長期にわたって音楽情報提供の役割を果たしたものもある。1977年創刊のロサンゼルスの「フリップサイド」誌は、ガレージやパンク時代からのファンジンである。西海岸バークリーのカレッジラジオ局のパンク番組「マキシマム・ロックンロール」が、ファンジンを創刊する1982年には、ハードコア・パンクのリポートが掲載されるようになった。ハスカー・ドゥやバッド・ブレインズのように大手レーベルと契約するバンドが増えた。またSSTやディスコード・レコードのようなインデイー・レーベルが配給を拡大した。 一方、ワシントンD.C.では「禁セックス」「禁アルコール」「禁ドラッグ」など新興宗教的な主張をしたストレート・エッジを提唱したマイナー・スレットの解散後、自主レーベル「ディスコード」のオーナーでもあったイアン・マッケイは、暴力化・様式化するハードコア・パンク・シーンに反発した音楽活動を開始した。
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