1954年発行の切手
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いわゆる「李承晩ライン」の設定(1952年1月)後、竹島問題をめぐって日韓両国が互いの見解を交換し合う見解往復がなされるなか、大韓民国は「独島」の領有権を公に主張すべく、竹島を描いた切手の発行を決定した。1954年9月15日、韓国は竹島を図案化した3種の普通切手、「独島切手」3,000万枚を発行したのである。 額面2ファン(圜)と5ファンの切手はそれぞれ500万枚、10ファンの切手は2000万枚が販売された。これに対して日本政府は、11月19日にこの切手を使った郵便物を取り扱わず、返送することを閣議決定し、11月29日には外務省を通じて在日韓国代表部に対し、抗議の口上書を出した。郵政省はこの切手を貼った韓国からの国際郵便物の受取拒否を指示したが、万国郵便連合 (UPU) の規定には「郵便物中継の自由保障」条項があった。また、船便・航空便で連日韓国から届く膨大な郵便物のなかから、竹島切手が貼られたものだけを選び、これを返送する作業の徹底も実際には難しく、日本国内でもこの切手を貼った多くの郵便物が配達されたといわれている。
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