1953年世界スリークッショントーナメント
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「桂マサ子」の記事における「1953年世界スリークッショントーナメント」の解説
1953年の大会は、前大会優勝のホッペが引退していたため、誰が優勝するかで話題となった。会場はシカゴのシェラトンホテルにあるシカゴタウンクラブで行われた。参加者11人のうち、メキシコのカマーチョ、桂、松山、ヴァレーホのボーズマン、シスコのキルゴア、ロスのプロキータ、ニューヨークのルビンの7人は連続出場した。そこにグランドラピッズのハロルド・ワースト、ハリウッドのジョン・フィッツパトリック、ミネアポリスのメル・ランドバーグ、アルゼンチンのエゼキエル・ナバラが加わった。ナバラはその年のキューバ、コロンビア、ペルー、アルゼンチンの大会で優勝しており、スリークッションで全1120イニング、1295点を出しており、通算アベレージは1.16だった。 桂は最初の試合でランドバーグを71イニングの50対44で破った。松山には39イニングの50対37で敗れた。ルビンにも52イニングの50対37で敗れた。フィッツパトリックには50イニングで50対38で勝利。さらにカマーチョにも56イニングで50対44で勝利。この試合では8ランを達成した。ナバラも43イニングで50対40で破った。キルゴアには42イニングで50対41で敗れた。ハロルドにも52イニングで50対4と敗れた。ボーズマンには60イニングで50対48で勝利、これが最終試合だった。戦績は5勝5敗、順位は6位だった。この大会では前年2位の松山が6位に終わっている。優勝はキルゴア、2位はナバラとボーズマンが同位だった。
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