1901年-1910年代
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「ボストン・レッドソックス」の記事における「1901年-1910年代」の解説
1901年、リーグ加盟と同時にセントルイス・カージナルスからサイ・ヤングを獲得。サイ・ヤングや選手兼任監督のジミー・コリンズを中心に1903年には91勝47敗という成績でリーグ初優勝を遂げた。この年には第1回となるワールドシリーズが開催され、ピッツバーグ・パイレーツと対戦、5勝3敗で初代ワールドチャンピオンに輝く。翌1904年もリーグ優勝を果たすが、対戦相手であるはずだったニューヨーク・ジャイアンツ(現:サンフランシスコ・ジャイアンツ)が対戦を拒否し、ワールドシリーズは開催されなかった。 1912年にはフェンウェイ・パークが開場。この頃のレッドソックスでは、スライディングキャッチを得意としたハリー・フーパー、抜群の打球の読みで極端な前進守備をひき、いくつもの「センターゴロ」を捌いたというトリス・スピーカー、当時レフト後方にあった約3メートル(10フィート)の高さの土手を自由に上り下りしたというダフィー・ルイスの3人からなる『100万ドルの外野陣』が知られていた。ジャイアンツとの対戦となったワールドシリーズでは、スモーキー・ジョー・ウッドの活躍もあり4勝3敗1分という僅差でこれを下し、2度目のワールドチャンピオンに輝く。 1914年にベーブ・ルースを獲得。ルースは1915年に投手として18勝、打っては打率.314・4本塁打という活躍でチームのワールドシリーズ制覇に貢献。1916年も変わらぬ活躍で23勝、防御率1.75で最優秀防御率を獲得し、チームも2年連続でワールドシリーズ制覇を成し遂げる。1917年はシカゴ・ホワイトソックスにリーグ優勝を奪われるが、1918年に5度目のワールドシリーズ制覇を果たす。ルースもこの頃から打者としての出場が増え、この年には11本塁打、翌1919年にはそれまでの本塁打記録を大幅に塗り替える29本塁打を放ち、最多本塁打を獲得した。
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