鶴姫 (徳川綱吉長女)
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鶴姫(つるひめ、延宝5年4月8日(1677年) - 宝永元年4月12日(1704年5月15日))[1]は、江戸幕府将軍徳川綱吉の長女。生母は小谷正元の娘お伝の方(瑞春院)。紀州藩主・徳川綱教の御簾中。
注釈
- ^ 両年と日付は資料により異なる
出典
- ^ 『徳川実紀』・『常憲院殿御實紀』
- ^ 『徳川一五代史』3巻、新人物往来社、1985年 pp.1409、1422
- ^ 角田文衞『日本の女性名:歴史的展望』国書刊行会 2006年、p.296
- ^ 木村三四吾「『聞くまゝの記』元禄鶴字法度のことなど」『木村三四吾著作集Ⅰ俳書の変遷 西鶴と芭蕉』八木書店、1998年、p.221
- ^ 野間光辰『西鶴年譜考證』 中央公論社、1983年、pp.352-354
- ^ 上安祥子 2020, p. 323.
- ^ 木村三四吾「『聞くまゝの記』元禄鶴字法度のことなど」『木村三四吾著作集Ⅰ俳書の変遷 西鶴と芭蕉』八木書店、1998年、pp.210-221
- ^ 上安祥子 2020, p. 331.
- 1 鶴姫 (徳川綱吉長女)とは
- 2 鶴姫 (徳川綱吉長女)の概要
- 3 脚注
鶴字法度
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「鶴姫 (徳川綱吉長女)」の記事における「鶴字法度」の解説
綱吉は鶴姫を溺愛していた。溺愛のあまり、貞享5年2月1日(1688年3月2日)に「鶴字法度」を出し、庶民が鶴字・鶴紋を使用することを禁じた。 これを受け、井原西鶴は雅号を改めて「井原西鵬」(さいほう)と名乗った。京菓子の老舗「鶴屋」は屋号を替えて、徳川家ゆかりの駿河国から取った「駿河屋」とした。また歌舞伎の中村座は丸に舞鶴を定紋にしていたが、これを角切銀杏に改めている。
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