高須病院開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:30 UTC 版)
昭和大学卒後は整形外科医局に所属。整形外科を選んだ理由は、家族・親族に医者が多く、同じ科を選ぶと喧嘩をしてしまうので、たまたま家族・親族にいなかった整形外科を選んだ。同大学院医学研究科博士課程を修了し、1973年(昭和48年)に「四肢切断者の幻肢に関する研究」で医学博士(昭和大学甲第250号)を取得した。妻は産婦人科に進んだ。西ドイツのキール大学、イタリアのボローニャ大学、ローマ大学などに研修留学した。 1974年(昭和49年)、愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市一色町赤羽)に医療法人福祉会高須病院を開設。ドイツで学んだ最新の整形外科技術を自分の病院にいち早く導入し、骨折患者の入院期間を大幅に短縮させた。手術に必要なボルトやプレートは、まだ日本では手に入らないために海外から輸入して使用した。しかし当時は長期入院を希望する患者が多く、短期間での退院は患者には不評であった。また、入院期間を短縮させたことで、病院は減収となった。 1998年、高須病院の関連組織として老人保健施設や訪問介護事業を立ち上げて介護福祉分野にも参入した。2008年(平成20年)、実家である高須病院を運営する医療法人社団福祉会の理事長に就任。 2016年、高須病院だけで約700人の職員を抱えると報じられた。介護老人保健施設「高須ケアガーデン」などの複数の施設(グループホーム・訪問看護ステーション・デイケア・ヘルパーステーションなど)を運営する。
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