香港社会への浸透
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:02 UTC 版)
詳細は「:zh:香港警察與三合會關係」を参照 香港における三合会の問題は60年代及び70年代に顕著であり、香港は「黒社会の首都」とも呼ばれた。諸問題の解決のために警察が三合会を利用していたともいわれる。例えば、ある誘拐事件が発生したら、警察がその地方の三合会の有力者にかけあい、解決のための協力を依頼する。その一方で、三合会のある地方の有力者が自らの地盤における懸案の解決を目論み、警察に協力を依頼する。英国人の作家マーティン・ブースによれば、1970年時点で、香港警察のうちの実に三分の一の人間が黒社会の成員を兼ねている者かまたは黒社会と何らかの繋がりを持つ関係者であったともされ、このことから「黒警(英語版)」(黑警)という言葉も生まれた。積極的不介入を採る香港社会にあって、民事介入暴力を行う三合会と官憲のこうした共生関係は、社会の秩序に安定をもたらしていた面もあった。 1974年の廉政公署の発起は、こうした腐敗状況に際立った抑制をかけた。その圧力にともなって各地方の三合会分派の地盤はしだいに縮小し、それまで地域ごとに明確に分かれていた分派間の区分けもしだいに曖昧なものになっていった。同時に表立った経済活動の利潤も減少してゆき、その活動は非合法色を強めながら地下に潜ってゆく。
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