雪解け以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 23:02 UTC 版)
「ティホン・フレンニコフ」の記事における「雪解け以後」の解説
1960年代に演奏会場に復帰し、自作のピアノ協奏曲を演奏した。ヴァイオリニストのレオニード・コーガンやチェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ピアニストのエフゲニー・キーシンの協力を得て、自作の協奏曲を録音している。1980年代に入って再び精力的に作曲活動に復帰し、《交響曲 第3番》では、かつて糾弾した音列技法を用いている。1987年に東京でヴァレリー・ゲルギエフ指揮の下、ウラジミール・クライネフ・エフゲニー・キーシン・ヴァディム・レーピンをソリストにしてピアノ協奏曲第三番、ピアノ協奏曲第二番、ヴァイオリン協奏曲第一番を演奏し大成功を収めた。その後、フレンニコフの管弦楽作品の演奏は日本ではほとんどなくなってしまっている。 1994年に上梓された回顧録(ISBN 5714005635)は、ソ連時代の秘密文書が公開されているとの触れ込みであった。 2007年8月14日、心筋梗塞のためモスクワで死去。94歳没。
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