降伏とイタリアの分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 03:32 UTC 版)
「1946年王政廃止に関するイタリアの国民投票」の記事における「降伏とイタリアの分裂」の解説
1943年7月24日のファシスト党内のクーデターによりムッソリーニ政権は崩壊した。しかし国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は依然として戦争継続を訴え、後任の首相に就いたアディスアベバ公ピエトロ・バドリオも、水面下では連合国との講和交渉を進めてはいたものの、公には戦争継続を表明していた。しかし秘密裏に休戦協定が成立して5日後の1943年9月8日、連合軍はイタリア側の了承なしにイタリアの無条件降伏を発表。これを受け、かねてからバドリオを警戒していたドイツは、ブレンナー峠に集結させていた軍をイタリア領に侵攻させた。結果、王室と内閣は南部ブリンディジに逃れ、ローマを含めた北中部にドイツの後押しを受けたイタリア社会共和国(RSI)が成立。軍の大半がRSIに流れ、イタリアは分裂した。
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