関所番
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 15:18 UTC 版)
関所の警固は、元和2年(1616年)、井伊直勝が任命されたのが始まりで、代々安中藩主が務めていた。番頭2名、平番3名、同心5名、中間4名、箱番4名、女改め1名が詰めていた。街道東西にそれぞれ門があり、東門を安中藩が、西門は幕府所轄であり「天下門」と呼ばれた。
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関所番
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 13:47 UTC 版)
江戸時代、栃本関所は関東代官伊奈忠治・忠治が大村氏を関所の番士とし、「大村家累代誌」大村家文書によると大村家が関所廃止まで番頭を世襲していた。 延享元年には関守に二人扶持が与えられるようになった。天明8年(1788年)の明細村鑑差上帳(山中家文書)には、惣名番組と称された栃本・上中尾・下納・大久保の四組が栃本関所・麻生加番所の警備を務めた。
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