長崎の銅座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 03:11 UTC 版)
1724年(享保9年)に浜町そばの埋立地に鋳銅所(築地銭座)が設けられ、輸出用の銅の鋳造を行っていたが、1738年(元文3年)に廃止された。その後、1741年(寛保元年)にその跡地に銅座銭座が置かれ、鉄製寛永通宝等の鋳造を行っていた。 鋳銅所の廃止後、その跡の埋立地を「銅座跡」と呼称したのが地名の起こりである。1868年(明治元年)7月に東銅座町・西銅座町が置かれ、同年10月に両者を併せ銅座町とした。現在は周辺と併せて長崎市内で有数の歓楽街となっており、鋳銅所があった場所付近に「銅座跡」の碑が建立されている。 表 話 編 歴 長崎市内の地域 中央総合事務所小ヶ倉 | 小榊 | 福田 | 式見 | 西浦上(道ノ尾 | 住吉町 | 女の都 | 昭和町)| 滑石 中央地区(旧・本庁直轄)浜町 | 出島 | 中央橋 | 思案橋 | 銅座町 | 新地中華街 | 丸山 | 大浦 | 東山手 | 南山手 | 松山町 | 戸町 東総合事務所東長崎(戸石) | 日見 南総合事務所土井首 | 深堀 | 茂木 | 野母崎(樺島) | 香焼 | 伊王島 | 高島(端島) | 三和 北総合事務所三重 | 外海(池島) | 琴海
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