銅鐸出土地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/09 05:42 UTC 版)
「桜ケ丘町 (神戸市)」の記事における「銅鐸出土地」の解説
昭和39年(1964年)12月、通称神岡と呼ばれる尾根の東側斜面で壁土用の土採りをしていた建材店の人が14の銅鐸と7の銅戈を発見し、これらはいずれも弥生時代のものとされた。『神戸の町名』によれば、普通1集落に1個とみられた銅鐸が14も固まって出土したことからここにいた集団が周囲を征服して隷属の印に銅鐸を奉らせたのではないかという説もあるという。出土地の下方平地でいくつかの寄居や倉庫の遺構が発見され、桜ケ丘町は全国に知られるところとなったという。 現在これらの銅鐸・銅戈は国宝に指定され、神戸市立博物館に所蔵されている。
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