銅像への落書きとは? わかりやすく解説

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銅像への落書き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 23:48 UTC 版)

折田先生像」の記事における「銅像への落書き」の解説

いつの頃からかは不明であるが、この銅像対す落書きいたずらが行われるようになった。またそれが1回限り単発的出来事でなく繰り返し行われたことから、大学内外衆目を集めるうになる初期ペンキによる着色など単純なものであったが、行為徐々にエスカレートし、「腕を取り付ける」「自転車担がせる」などの物体付加や、像全体覆って別の物として展示することにその内容移行していった。 遅くとも1986年には顔を赤くスプレーされ、台座に「怒る人」と落書きされた、その後の姿に比べればごくシンプルなバージョンであり、一部で「京大の『怒る人』」として知られていた。これは比較長い期間放置されていたが、1991年何者かが赤い顔を青に塗り替え台座に「怒らないで」と上書きした。これを機に一連の落書き連鎖が始まることになる。 「怒らないで」の次に、彼らが行った落書きは「歌舞伎隈取」の意匠であった。これはすぐさま大学側によって消された。その後合成樹脂による両手取り付けたれーにん」、巨大な被せ物による「モアイ」など、初期の何種かのバージョン製作された。その後折田先生像への落書き一種文化のように継承され、回を追うごとにエスカレートしていき、一部では銅像アート呼ばれるさまざまな作品残した。 赤と黄色に彩られ、頭にカップ乗せたヤキソバンバージョン 肩に自転車掛け、「私も入ってます!!」と張り紙のされたサイクリング部勧誘バージョン 女性用下着を顔につけ、「フォオオオ」と書き込まれ変態仮面バージョン 全体ダンボールによって作られモアイ像被されたモアイバージョン 折田彦市先生は、第三高等学校校長として京大創設尽力し京大に自由の学風を築くために多大な功績残した人です。 どうかこの像を汚さない下さい総合人間学部 これに対し1994年から大学は一旦銅像清掃し、横に右記のような立て看板立てて学生落書き止めるよう要請した。しかしこの立て看板対抗して、「この像を汚さないで」と銅像に早速落書きされた。以後アンナミラーズのウェイトレスバージョン、ウルトラマンゼアスバージョン、「お父様お母様今まで育ててくれてありがとう。今日私…お嫁に行きます」と張り紙のされた花嫁バージョンなど衣装被り物数多く制作された。こうした銅像対す落書きいたずら構内整備機に折田先生像撤去される1997年3月まで続いた

※この「銅像への落書き」の解説は、「折田先生像」の解説の一部です。
「銅像への落書き」を含む「折田先生像」の記事については、「折田先生像」の概要を参照ください。

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