金華山軌道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 14:18 UTC 版)
金華山軌道(きんかざんきどう)は、かつて宮城県にあった軽便鉄道。
注釈
- ^ 「大正13年 瓦斯倫機関車設計書」によると最大長3,733ミリ、重量3,600キロ、堅型4気筒12馬力、史料番号286『石巻の歴史 第10巻 資料編. 4 近・現代編』
- ^ 人車を選択したのは「僅か三哩の短距離を馬匹または機関車を使用したのでは採算があわないため」という。『石巻の歴史 第5巻』804頁
- ^ 8月3日とする史料もある「史料番号273 軌道運輸開始ノ件」『石巻の歴史 第10巻 資料編. 4 近・現代編』
- ^ 軌道の影響を受けることになる渡波の馬車業者達は牡鹿軌道に既に馬匹を現物提供し株主となっていた『渡波町史』374頁
- ^ 「自動機関車」は「大正8年 牡鹿軌道動力変更願」によるとガソリン機関車のこと。増東軌道が検討していた(保線用モーターカーのような簡易な)機関車と同一で、経済速力25哩、最大速力50哩、重量1,290封度、車体価格は2台で19,000円であった。当時一般営業用の鉄軌道でガソリン機関車を採用したところはなかった。史料番号275『石巻の歴史 第10巻 資料編4 近・現代編』
- ^ 帝国大学予備科卒、水産試験場長、退職後は遠洋漁業を経営してラッコやオットセイを輸出し盛業であったが、海獣保護の国際条約成立のため会社を解散した。『石巻市史 3』493頁
- ^ 既に工事着工認可願いを提出していたが関東大震災が発生したため認可が遅れていた『宮城県史 5』699頁
- ^ 石巻駅との間には旧北上川が流れており近くに内海橋が架橋されていたが、軌道は最後まで川を渡ることはなかった。
出典
- ^ 女川町誌
- ^ 湯口徹「豆相人車鉄道→熱海鉄道の動力化再考」『鉄道史料』No.128、8頁
- ^ No.16「動力変更(瓦斯倫動力自動車)ノ件」『金華山軌道(元牡鹿軌道)(一)・自大正元年至大正十年』289頁
- ^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「金華山軌道株式會社及朝倉軌道株式會社所屬軌道ノ經營廢止ニ對スル補償ノ爲公債發行ニ關スル法律案」『帝国議会衆議院議事摘要75回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『帝国銀行会社要録. 昭和15年(28版)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d 今尾 (2008)
- ^ 大正10年度鉄道省鉄道統計資料より
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1922年1月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正13年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 昭和15年3月16日貴族院「金華山軌道株式会社及朝倉軌道株式会社所属軌道ノ経営廃止ニ対スル補償ノ為公債発行ニ関スル法律案特別委員会」においての政府委員鉄道省監督局長鈴木清秀による答弁により。
- ^ 「軌道運輸営業廃止実施」『官報』1940年6月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『渡波町史』376頁
[続きの解説]
「金華山軌道」の続きの解説一覧
- 1 金華山軌道とは
- 2 金華山軌道の概要
- 3 沿革
- 4 輸送・収支実績
- 5 駅一覧
固有名詞の分類
- 金華山軌道のページへのリンク