金沢市長に初当選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 15:36 UTC 版)
2010年11月9日に市議を辞職。自民党を離党した上で自民党金沢支部・日本創新党の推薦を受けて金沢市長選挙に立候補。民主党県連・社民党県連・国民新党の推薦と公明党金沢総支部の支持を受けた現職の山出保を1364票差の僅差で破り、初当選した。 なお市長選の当時はまだネット選挙が解禁されていなかったが、金沢市選挙管理委員会によると、山野陣営のネット戦略担当者と山野の秘書が告示後にTwitterを利用して山野への投票を呼び掛ける運動を行っていた。市選管は公職選挙法に抵触するおそれがあるとして山野陣営に書き込みの削除などを求めたが、その後も投稿が続いたため石川県警に相談。県警は「ネット選挙解禁の方向で議論が進んでいることもあり判断が難しい」として対応を見送った。 12月10日に初登庁し、同日行われた引き継ぎでは前職の山出から「思い切ってやってください」と激励を受け、握手を交わした。市長としての初登庁について問われた山野は「身が引き締まる思い」との感想を述べた。
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