金井沢碑
金井沢碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 00:39 UTC 版)
金井沢碑(かないざわひ[1][2]、かないざわのひ[3])は、群馬県高崎市山名町にある古碑であり、国の特別史跡に指定されている。山ノ上碑、多胡碑とともに「上野三碑」[4]と称される。
注釈
出典
- ^ “文化遺産データベース 金井沢碑”. 文化庁. 2019年4月22日閲覧。
- ^ “国指定文化財等データベース 金井沢碑”. 文化庁. 2019年4月22日閲覧。
- ^ “コトバンク 金井沢碑とは”. 2019年4月22日閲覧。事典によって「かないざわひ」・「かないざわのひ」と2通りの読み方が確認できる。
- ^ 「上毛三碑」とも。
- ^ 前橋市教育委員会 高崎市教育委員会『平成26年度 前橋・高崎連携事業文化財展 東国千年の都 石を使って3万年-削る・飾る・祈る-』前橋市教育委員会、2015年。
- ^ a b c d e 金井沢碑 - 高崎市、2020年8月10日閲覧。
- ^ a b 佐藤信『古代東国の地方官衙と寺院』(山川出版社、2017年)
- ^ 若狭徹「立評をめぐる地方氏族の政治行動 一群馬県における後期古墳の動態と上野三碑の建碑から一 [1]」
- ^ 若狭徹「立評をめぐる地方氏族の政治行動 一群馬県における後期古墳の動態と上野三碑の建碑から一 [2]」
- ^ 若狭徹「立評をめぐる地方氏族の政治行動 一群馬県における後期古墳の動態と上野三碑の建碑から一 [3]」
- ^ 若狭徹「立評をめぐる地方氏族の政治行動 一群馬県における後期古墳の動態と上野三碑の建碑から一 [4]」
- ^ 若狭徹「立評をめぐる地方氏族の政治行動 一群馬県における後期古墳の動態と上野三碑の建碑から一 [5]」
- ^ 若狭徹「立評をめぐる地方氏族の政治行動 一群馬県における後期古墳の動態と上野三碑の建碑から一 [6]」
- ^ 若狭徹「立評をめぐる地方氏族の政治行動 一群馬県における後期古墳の動態と上野三碑の建碑から一 [7]」
- ^ 『日本書紀』大化元年8月条「東国国司発遣の詔」「京に上らむ時には多に百姓を己に従ふること得じ。唯国造・郡領のみを従はしむること得む。(中略)若し名を求むる人有りて、元より国造・伴造・県稲置に非ずして、輙く詐り訴へて言さまく、『我が祖の時より、此の官家を領り、是の郡県を治む』とまうさむは、汝等国司、詐の随に便く朝に牒すことを得じ。審に実の状を得て後に申すべし。」
- ^ 若狭徹「立評をめぐる地方氏族の政治行動 一群馬県における後期古墳の動態と上野三碑の建碑から一 [8]」
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