野川第一土地区画整理事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:38 UTC 版)
「野川 (川崎市)」の記事における「野川第一土地区画整理事業」の解説
東急が進めた多摩田園都市計画の中で、最初に開発を行うモデル地区として当地が選ばれ、事業が開始した。モデルケースとして早期に結果を挙げ、残りの事業地買収に弾みをつけるという狙いがあったので、東急が比較的まとまった土地を確保していた当地が選ばれ、また事業面積は19.8 haと、あえて小さなものとされた。 ただ、このような組合施行の土地区画整理事業自体が川崎市で初めてであったこと、首都圏整備計画におけるグリーンベルト構想の存在、さらには反対する一部地主の存在などもあり、野川第一土地区画整理組合の発起人会(1957年5月)から設立認可(1959年5月)までに2年という期間を要することとなった。 事業の法的な施行者は土地区画整理組合であるものの、東急が多摩田園都市の一体開発を進めるために、組合が行うべき一切の業務を東急が代行し、その代行料として保留地を受け取るという、業務代行土地区画整理事業として行われ、1961年10月の換地処分によって完結した。完成と前後して分譲が行われたが、モデルケースという事情もあってか東急の縁故者向けに別枠で募集が行われたほか、社宅も誘致された。
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