遺跡と庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/18 23:15 UTC 版)
もともとサクシュコトニ川沿いには数多くの住居遺跡があり、明治のころは明瞭に確認できたのだが、それらは経年とともに埋没していった。この園内には約30基の竪穴式住居跡がまだ視認できる状態で残されている。1952年(昭和27年)に実施された一部の調査で古代の村落であることが判明し、1980年(昭和55年)から継続的に行われている埋蔵文化財調査では、本州の歴史にあてはめると奈良時代末から平安時代にかけての物であると推定されている。 庭園の解説板を見る限り、この地に居住していた古代人とアイヌとの関連はまったく読み取れない。1991年には、アイヌの有志がここにヌササン(祭壇)を再現し、シンヌラッパ(先祖供養)を行っている。そのことを説明した看板も作られたのだが、後に何者かの手で破壊されたという。この件に関して小野有五は、「遺跡はアイヌ文化以前の擦文時代のものだから、居住者はアイヌ(の先祖)ではない」という考え方に対して異を唱えている。
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