遵仁法親王とは? わかりやすく解説

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遵仁法親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/22 18:24 UTC 版)

遵仁法親王(じゅんにんほっしんのう、享保21年1月12日1736年2月23日) - 延享4年4月21日1747年5月29日))は、江戸時代中期の皇族中御門天皇の第6皇子。母は五条為範の娘・掌侍五条寛子。仁和寺門跡。幼名は政宮寛全(かんぜん)。正式な出家が親王宣下後であるため、入道親王とする表記もある[1]




注釈

  1. ^ 一条兼香の意向で葉室頼胤から江戸幕府に養子縁組に関する問い合わせの使者が出されていたが、幕府は(第6条に則して)尭厳の時のように血筋を重視しつつも天皇の同意があれば政宮もしくは世襲親王家からの縁組も認めるとする回答を出していた[4]
  2. ^ 政宮の養父として位置づけられる九条稙基・二条宗基・鷹司基輝のうち、二条・鷹司が権大納言でしかない(大臣の地位にはなかった)ことも桜町天皇の不満の一因であったとも考えられる(九条稙基は内大臣であったが、九条家自体が政宮の入嗣を望んでいない)[6]

出典

  1. ^ a b 「遵仁入道親王」『日本人名大辞典』
  2. ^ 長坂、2018年、P23・42.
  3. ^ 長坂、2018年、P23-30.
  4. ^ 長坂、2018年、P34・40-41.
  5. ^ 長坂、2018年、P30-38・40.
  6. ^ 長坂、2018年、P27・38-39.
  7. ^ 長坂、2018年、P38-40.
  8. ^ a b 「寛全親王」『日本人名大事典』


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